BEZ◎RECORDとスーちゃんの夜

今回はコチラの記事の続き。

栞さんたちからのライブの帰り、第三京浜を運転中にガコに尋ねた。
「やはり"ベズ"へ行ってみようと思うんだけど、ガコも付き合ってくれる?」
「いいですよ。明日は休みですから」

というわけで、栞さんの車と第三京浜の保土ヶ谷料金所あたりで別れた後、首都高横浜線に乗った我々がたどり着いたのはココ。

通町の交差点近くにあるBEZ◎RECORDだ。日本でも有名なキャンディーズの「聖地」である。でも決してキャンディーズオンリーではない。1980年代までの歌謡曲、あるいは60~70年代ロックに関する様々なモノがここにはカオスとなって詰まっている。ここに来るのは今年の1月にリッケンさんに連れていって頂いて以来2度目。

店頭には4月21日に亡くなった元キャンディーズのスーちゃん(田中好子)の遺影が掲げられていた。
すでに時計は午前二時を過ぎていた。店内にはお客さんが2人。おひとりは酔いつぶれて寝ていた。
さっきまで店内はギュウギュウだったのだという。
「皆さん終電で帰られたんですよ。大阪から来られたお客さんもいたんです。昼間にはテレビ局も取材に来ました」とオーナーさん。さすがは「聖地」だけのことはある。

最初に言っておかなければならないけれど、僕は決して「キャンディーズのファンです」と言えるものじゃない。そう言いきるほどの経験も知識もないと思う。何しろ彼女たちの全盛期はまだ小学生だった。リアルタイムでコンサートにも行ったことはないし、レコードも買ったことはない。厳密な意味で「キャンディーズ世代」と言える方々は僕よりも5歳~10歳ぐらい上の世代だと思う。例えばキャンディーズのファンとして有名な自民党の政調会長の石破さんなどは僕より8歳年上だ。

ただ、いち小学生として彼女たちの存在を日常的に感じていたことは間違いない。テレビのチャンネルをひねっても、ラジオをつけても、彼女はたちはいつもそこにいた。「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」は毎週欠かさず見ていた。

まずはコーラでスーちゃんに献杯する。
「むくり」。隣で寝ていた方が起き上がった。見れば僕と変わらぬ年齢の方だ。話を伺えば「どちらかと言えば後追い」のファンの方なんだそうだ。昨日スーちゃんの死を知った後、この方が昨日徹夜で作った「スーちゃん追悼」のスライドショーを見せて頂いた。

この方とはこんな話をした。

最初の頃は、僕はミキちゃんがお気に入りだったこと。そしてクラスで「キャンディーズの3人の中でミキちゃんが好き」と言うと、周囲の空気が変化することに気付いていた。当時ミキちゃんは3人の中では一番地味な存在だったからだ。やがて正統派美人のスーちゃんのファンへと変わっていった、という話。いっぽう、その方はミキちゃん一本なんだそうだ。

忘れられないのは小学校を卒業した春休みに家族旅行で房総半島へ旅行に行った時のこと。これが家族としては最後の旅行となった。ちょうどキャンディーズのラストシングル「微笑みがえし」がヒットチャートの1位で、この曲がカーラジオから頻繁に流れていた。確かジュリーの「サムライ」、渡辺真知子「迷い道」などもこの時に耳にしたと記憶している。今でもこの曲を聞くと、暖かい陽気の中を走る車窓から見た春の海の光景を思い出す、ということ。

【キャンディーズ 微笑がえし(1978)】

そんな風に色々な思い出話をしながら、静かに夜は更けていった。

リアルタイムでキャンディーズを知らないガコも、彼女たちの全盛期の映像に見入っていた。

ガコにはこんな風に説明する。同時期にチャートを席捲していたピンク・レディがどちらかと言うと小学生を対象にしたアイドルだっただけに、キャンディーズというのは幅広い世代に愛された数少ないアイドルグループだった。また作られて操縦されるアイドルではなく、音楽性からキャラクターに至るまで自分でコントロールできるアイドルだった印象がある。そして彼女たちは「解散」すら自分たちでコントロールしてしまった、そんな話をした。

【キャンディーズ 春一番(1976)】
気がつけば時計は午前4時を廻っていた。あわててお店を辞する。
豪雨の中を駐車場までたどり着き、ガコの家まで送る。
「ごめんね、つき合わせて」
「いえいえ、色々ゴチャゴチャしていて面白かったです」
と言ってくれたのが救いだった。