左利き

無力無善寺のライブの翌日、喉君がギブス内蔵の絆創膏のお化けみたいなものを右指に巻いて教室にやってきた。
なんでも〇〇に指を〇〇してしまい、怪我をしてしまったそうだ。
「いやぁ、ライブの翌日で助かりました」と喉君。
いやいやそういう問題じゃなくて、大怪我でなくて良かったです。

そして彼が言ったのが「左利きの苦労がよくわかりましたよ」だった。

そうなんだよね。
普段これ(左利き)に慣れてしまっているから、あんまり感じることはないのだけど、考えてみれば世の中のものはすべて右利きむけに設計されている。

(画像は本文と関係ありません)

ジュースの自販機。コインを入れる場所は右。
駅の改札口。pasmoをかざすのは右。
はさみ。にぎりや力の入れ具合が右利き用になっている。
カメラ。シャッターボタンは右についている。
習字。運筆はすべて右利きを前提としている。
横書きノートに文字を書いてゆくと、左手の小指の付け根が真っ黒(今書いたものを手でこするから)

そんな社会の中で生きている左利きって、たしかに不便を強いられている村人のようだ。
「水が欲しければ、自分で井戸を掘れ」だ。
追い打ちをかけるように、ある学者の説に「左利きは右利きより早死にする」というのがある。左利きは「右利き社会」で暮らすうちに、知らず知らずのウチにストレスが溜まり早死にしてしまうのだという。なんだかお先真っ暗な話ではないか。

ところがどっこい。当の左利き種族は、同情に値することなくしぶとく生きている。
右利きの人間が左手を使う不便さに比べれば、左利きの人間は右手を比較的自由に使いこなしているからだ。
物心つく前から触っている道具はともかくとして、大きくなってから触る道具に関しては、かなり柔軟に対応している。

そして考え方によっては左手に有利な道具もあったりする。

たとえば、僕の場合マウスは右手で使うけど、それにストレスを感じたことはない。
必然的にキーボードは左手の片手打ちのクセがつき、かなりの速さで入力できるようになった。
右手でマウスを操作しながら、利き腕の左手でキーボード入力することは、逆に効率がいいのではないだろうか?
さらに一般的なキーボードでは使用頻度の高いアルファベットのキーは、PCに座った時に体の中心軸より左側にあるわけだから、左手でキーボードを打つことは合理的だ。

カメラだってそうだ。確かにシャッターは右側についているけど、左利きの人間は利き腕でカメラをホールドできるわけだから、より安定して撮影ができるというものだ。
(まあ実際のところブレブレなんですけど....これは利き腕の問題ではなくカメラの腕の問題)。

CDのプラケースは、大半が左開きだけど、これなどは左利きに有利に作られているとしか思えない。
右手にケースを持って、左手でケースを開き、左手でCDを取り出す。
つまり利き腕での操作が多いのだ。

ペットボトルのふたを開ける時はどうだろう。利き腕にかかわらず右手にペットボトルを持ち左手でキャップをこじ開けるという開け方が一般的だと思う。これはペットボトルのふたが反時計周りに開放されるからそういう動作になるわけだけど、こういう時は左利きの方が利き腕で力を入れられるから有利だと思う。

そうやって考えると、むしろ左手での動作に抵抗感が強い右利きの人の方がストレスを感じやすいんじゃないかと、余計なお世話的な同情をしてしまう。

そんな僕にとって、唯一「許せない道具」があるとすれば、それはファミレスのスープバーなどにあるお玉杓子だ。

正式には「横口レードル」と言うらしい。「お玉」の一方が注ぎ口になっているやつ。
こういう道具は箸やスプーンと一緒だという認識が脳内に完成されているので、どうしても左手を利用する。
ところが、スープをカップに流し込む口が自分とは反対の方向にある。
そのため、すくいあげたスープを、右手に持ったコップに流し込むには、左腕を逆にひねることになり、説明し難いへんちくりんな恰好を強いられる。
このお玉はかなり屈辱的な形状である。

だからと言って「差別」だと大騒ぎする種族でもないのが、左利きのいいところだ。
「自分で井戸を掘って、静かに暮らす」というようなところが、本質的に左利き人間にはあるのだろう。

現にビッグボーイやフォルクスなどのように、スープバーとサラダバーのあるお店が大好きだ。
20代の頃は、サラダーバーのあたりにあるクルトンや乾燥オニオンスライスをコーンスープに入れて、2時間でも3時間でも過ごしていた。
話が脱線しつつあるところで、終わり。