大滝詠一にも春よ来い
音楽の世界においては、しばしば「オマージュかパクりか」ということが論争になる。
「オマージュ」っていうのは、元ネタに対する一定の敬意を持ち、その作品の一部(メロディもしくはアレンジ)を使用するということだ。
それに対して「パクり」というのは、敬意もへったくれもない。ポイントとしてはなるべくバレないように元ネタを料理できるか?という点にかかっている。
ただしこれは一般論であって、事実はもっと難しい。バレバレのパクりを「これはオマージュです」と主張することも可能だし。元ネタ側が「盗作だ!」と主張すれば、その内容とやり手の弁護士と裁判官と諮問機関次第では「盗作」になる場合だってある。
そんな認識を持っていたから、5年前にORANGE RANGEの「ロコモーション」の盗作疑惑が持ち上がった時は逆に驚いた。だってあれはどう聞いてもシャンプー(Shampoo)の「トラブル(Trouble)とカイリー・ミノグ(Kylie minogue)もしくはリトル・エヴァ(Little Eva)の「ロコ・モーション(Loco-Motion)」に対する「わかりやすいオマージュ」だと思っていたからだ。タイトルは一緒だし、歌詞とメロディーのまるごと引用まであったぐらいだから….その後の経緯も見てみたけど、メンバーが盗作行為を肯定するような発言をしたこともあって(若気の至りだなぁ…)、結局彼らのあの曲もこの曲も盗作だという騒動になってしまった。
著作権登録とかクレジット表記などと言った法的(?)な説明うんぬんを抜かせば、「オマージュ」と「パクり」の垣根というものは、結局のところ発信者(アーチスト)と受信者(リスナー)との関係に依存するものなのだと思う。アーチストが過去の名曲へのリスペクトを自分の音楽に昇華させる。それをリスナーが聞いて(人によっては元ネタさがしを含めて)楽しむ。そこには一種のゲーム感覚すらある。これって時には聞き手のセンスを問われることもある。
1990年代に「渋谷系」がブームになった頃、ピチカート・ファイブの小西さんなんかはラジオDJで元ネタを流してくれたりしたものだ。それがあまりにもマニアックすぎて「あっ、なぁるほどなぁ」とニヤっとする瞬間が度々あったし、そこから逆に音楽の世界が広がったりした。これをパクりだと思ったことはないし、小西さんの音楽に対する愛情や敬意(オマージュ)を感じたものだ。
そういうオマージュということでいえば、昨年の12月30日に亡くなった大滝詠一さんという人は、そんなオマージュの総本山だったと思っている。と言うか、僕が音楽にハマり出した最初期に「オマージュっていうのはこういうことなんだよ」ということを、教えてくれたのが大滝さんだった。
たとえば大ヒットした「君は天然色(1981)」のイントロや、ファーストアルバム「大滝詠一(1972)」に収録されていた「ウララカ」を聞いた人ならば、1963年のポップス黄金時代に鬼才フィル・スペクター(Phil Spector)がプロデュースしたアノ曲を思い出すだろう。
【大滝詠一】
「君は天然色」
「ウララカ」
【元ネタ】
ザ・クリスタルズ(The Crystals) – ダ・ドゥ・ロン・ロン(Da Doo Ron Ron)
「ウララカ」に至っては、あからさま過ぎてもう大笑いするしかないだろう。
こんな例もある。
【大滝詠一】
「さらばシベリア鉄道」
「フィヨルドの少女」
【(アレンジ面での)元ネタ】
ジョン・レイトン(John Leyton) – 霧の中のジョニー(Remember Me)
ザ・トーネイドーズ(The Tornados) – テルスター(Telstar)
ザ・トーネイドーズ(The Tornados) – ライディン・ザ・ウィンド(Ridin’ The Wind)
ザ・スプートニクス(The Spotnicks) – 空の終列車 (Le Dernier Train De L’espace)
トーネイドーズはイギリスのインストゥルメンタル・グループ。ビートルズに先駆けて全米No.1を「テルスター」で獲得している。彼らはしばしば「ジャンジャガ・ジャンジャン」というギターリフを使うのだけど、これがフラメンコのギターリフであることはデビューシングルの「ラヴ・アンド・フューリー (Love and Fury)」あたりを聞くと一目瞭然だ。
スプートニクスはスウェーデンのインストゥル・バンド。こちらもジャンジャガやっている。「空の終列車」はベンチャーズが作曲した「二人の銀座」に似ているけど、こちらの方が3年ぐらい早いはずだ。
大滝さんのズルいところは、曲のタイトルでも「スプートニクス」をオマージュしちゃっているトコロ(作詞は松本隆)。
この「空の終列車」もそうだけど、彼らには「夢の宇宙特急」「霧のカレリア」「モスクワの灯」などのシングルヒットがある。「フィヨルドの少女」や「さらばシベリア鉄道」の持つ北欧臭(正確にはソ連臭も入っている)っていうのは、このあたりかた来ているのだろう。
もうひとつ行ってみよう。
はっぴいえんどの音楽には1960年代にLAで活躍したバッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)やクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(Crosby, Stills, Nash & Young)などの影響が多々見られるけど、「風街ろまん」における「はいからはくち」のアレンジもそのひとつだ。
【大滝詠一(はっぴいえんど)】
はいからはくち
【元ネタ】
バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield) ウノ・ムンド(Uno Mundo)
アハハ....大滝さんはこうした音楽に対して「オマージュ」しつつも、極上な...時には原曲を凌駕するJ-POPを創り上げるだけの才能を持っていた。
そんな大滝さんはミュージシャンでもあったけど、それ以上に「音楽の生き字引」だった。
1960年代の洋楽に限らず昭和20年代30年代の邦楽に関しても膨大な知識と情報量を持っていた人で、とても短い期間だったけど、彼のラジオ番組は僕にとって「音楽の扉のひとつ」だった。そうした音楽に対するオマージュの集大成があの異常にヒットした「A LONG VACATION (1981)」「EACH TIME (1984)」だった。
当時友人の家に遊びに行くと2軒に1軒はこのジャケットが部屋に飾ってあって「百万枚売れるっていうのは、こういうことなのか」と体感したものだ。
だがその一方で異様に広がったリスナー層は、それまで彼が持っていた発信者(アーチスト)と受信者(リスナー)との阿吽の呼吸のような関係を全く別のものにしてしまったのかもしれない。少なくとも一対一に対峙された元ネタ探しゲームではなくなった。彼のサウンドは新奇で爽快な「音の壁」であり、オマージュともパクりとも縁のない「音のインテリア」となったのだ。
当時、大滝さんがラジオで自嘲気味にこう言っていたのを覚えている。
「あのアルバムは部屋のカーテンみたいなもので。インテリアとしての音楽なんですよね。誰も大滝詠一という人間には興味ないんですよね。それでいいと思っています」。
彼がその後、アーチストとしての表現活動をほとんどやめてしまった理由が、なんとなくこのあたりにあるように思えてならない。
最後に...大滝さんが亡くなったのが12月30日ということでこの曲を思い出した。合掌。
春よ来い
作詞 松本隆/作曲 大瀧詠一
お正月といえば炬燵を囲んで
お雑煮を食べながら
歌留多をしていたものです
今年は一人ぼっちで年を迎えたんです
徐夜の鐘が寂しすぎ
耳を押えてました
家さえ飛び出なければ今頃皆揃って
お目出度うが言えたのに
何処で間違えたのか
だけど全てを賭けた今は唯やってみよう
春が訪れるまで今は遠くないはず
春よ来い
春よ来い
ディスカッション
コメント一覧
亡くなられた日にラジオで生前にインタビューした時の話を萩原健太さんが話をしていましたが、大滝さんの理想とする作品の理想は詠み人知らずで曲の存在だけが残って欲しいといつも言っていたというのを聴いて、なるほどなぁと思いました。大滝さんの活躍された時期に音楽を聴いていた世代ではないので、あまり聴くことはありませんが大滝さんの曲で一番好きなのは小林旭の「熱き心に」です。
ちなみに、私が大滝さんの曲を聴くきっかけは、とっとこハム太郎と美少女ゲームの曲をてがけていた岩崎元是さんが大滝さんに影響を受けたというので図書館で借りたCDで味見したのが切っ掛けです(笑)
大ヒットするということはそういうこと…。ポップミュージックは凡百や市民権に背を向けては成立しないもので、残念ながら一作品も世に出ていないワシが何を言っても世間様の心に響き様がないのだが、ワシが大瀧さんと同じカルマに生きていることはスパイダクションさんならお分かりいただけるでしょう。『妄想ロック☆スター』のようなワシのリスペクト曲は、もともと大瀧詠一さんがいて誕生したのかもしれません。
>ケンモツ君
大滝さん、そんなことを言っていたんですね。
「詠み人知らず」という表現は随分柔らかくなっていますが、僕がラジオで聴いたのと、言っていることは一緒ですね。
大滝さん、自分が影響を受けた音楽を、様々な形で表現して、それにまた岩崎さんが影響を受けているわけですね。
僕の娘が小さい頃「とっとこ~走るよハム太郎」と歌っていましたが、音楽的なルーツがPhil Spector→大滝さんにあったとは気付きもしませんでした(笑)
>リッケンさん
うん、わかります。
リッケンさんはリッケンさんで、過去に影響を受けた音楽を現代の時代に「翻訳」してプレイしている。それはオリジナルだったりカバーだったり、ですね(^-^)
大滝さんという人は長年のポップミュージック研究で「売れる曲の作り方」みたいなものを会得しちゃった。それであの「A LONG VACATION」を出した。この時点で「やることをやってしまった」という気持ちは大きかったでしょうね。
アーチストでもあったけど、それ以上に研究家だったということなんでしょうね。
昔、中村とうようさんも、詠み人知らずが、ポピュラー音楽の最高の形だと言っていました。
多分に著作権を過剰に保護することへの反対の意味を込めてだったのですが。
「万葉集」やあるいは「聖書」も、よく考えれば詠み人知らずですから。
大滝の抒情性が好きでしたが、もともと母子家庭で、しかも母と離れて暮らしていた彼の孤独さがその元だったように思います。
さすらい日乗さん
著作権の観念すらない時代でしたから、モーツァルトもフォスターもスコット・ジョプリンも不遇のうちに亡くなりましたが、だからこそ音楽は進歩したわけですよね。
年末から年始にかけて、僕は二人の訃報に触れたのですが、お二人目の衝撃が大きすぎて、あまり語れなかった次第です。