こち亀の時代 -子供はいつでも奇想天外が大好きだった-

あれは小学校6年生の夏に長野の蓼科に家族旅行に行った時の事だから、1977年の8月で間違いないと思う。尖石古墳の資料館(※1)に寄る前だったか後だったか忘れてしまったけど、ドライブイン(死語)に寄って中華料理を食べた時のことだった。

料理が出るまでの間、姉貴と僕は畳敷きのコーナーに行って壁際にずらっと並んでいる少年ジャンプの『こち亀』を読んでいた....いや違うな、家族で畳敷きのコーナーに上がったんだ。僕は奥の壁際に胡坐していた。左側の手の届く範囲に少年ジャンプがずらっと並んでいて、そこで『こち亀(※2)』を読んだんだ。

そこでたまたま読んだのが両津が初めて中川の家に行ってその大富豪ぶりに驚く(※3)、という話だった。
この回が実に強烈だった(あくまで当時の小学生の感覚です)。

車で10分以上走り続けているのに、延々と中川家の塀が続いているところから始まり....
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自宅に敷地に入っても庭が広すぎるために、道に迷ってしまう。
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ようやく到着した宮殿のような豪邸は、あくまで中川一人の"部屋"で、家族は別々の豪邸に住んでいる。
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駐車場には何十台とスーパーカーが止まっているけど、これは実は中川一人の"車庫"という具合だ。
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「奇想天外」っていうのはまさにこれだった。

それまでの小学生がイメージする「大富豪の暮らし」は、『巨人の星』の花形満の家レベル、というものでしかなかった(当時でも古っ!)。豪邸で暖炉があって召使さんがいる暮らしではあるけど、その風景には隣宅が連なっているのが予感できた。同時代の『サーキットの狼』の早瀬佐近は確かに富豪のドラ息子だったけど、ポルシェ一台を後生大事に乗り回していた。

中川の家はそういうスケールから遥かにぶっ飛んでいた。それまでのイメージ(ここでは「大富豪の暮らし」)をずっとこじんまりとしたものにしてしまった。これは小学生の僕にとってはもの凄いカルチャーショックだった。
「こののマンガ、面白くなってるじゃん!」。
こうして僕は(ようやく)『こち亀』ファンになった。

今の小学生もきっとそうだと思うけど、ある日突然「奇想天外」に出会う。それは実にスリリングな瞬間だと思う。

当時、僕が出会った「奇想天外」は『こち亀』に限らない。
いや1970年代の文化そのものが、御多分に「奇想天外」を含んでいた。

山に行けば雪男やヒバゴンがいた。
野原に行けばツチノコがいた。
湖に行けばネッシーが泳いでいたし、うす汚い二本足を突き出した死体があった。
夜空を見上げればアダムスキー型のUFOが飛んでいたし、海には幽霊船が漂っていた。
スプーンを右手に持って念ずれば、それはぐにゃりと曲がったし、妹の持っている人形の髪の毛はどんどん伸びていった。

何年か前に「さよならエマニエル夫人」でこんな風に書いたことがある。

この頃、衝撃的に面白かったアニメ作品に『ルパン三世』の最終回(※3)があった。夕方ぐらいに再放送でやってたやつだ。銀行の金庫からお金を強奪するのに、軽自動車で地下鉄の線路を走っちゃう話。
そしてもう一つがアニメ『侍ジャイアンツ』。分身魔球とか大回転魔球とかハイジャンプ魔球とか....もはやジャイアンツが好きとか嫌いとかのレベルでもなければ、野球が好きとか嫌いとかのレベルでもない。そういうこと全てを超越しちゃった奇想天外さだった。小学校のクラスはこうした作品の話題で持ちきりだった。
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そして『こち亀』もまた僕の脳内で殿堂入りをしたわけだ。

時計の針をちょっと戻そう。初めて秋本治(当時は"山止たつひこ"というペンネームだった)のマンガに触れたのは『交通安全’76』という短編だった。僕の小学校では高学年になったらマンガ持ち込み可だったようだ。この時、僕は小学5年生だった。
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(『交通安全’76』)
たぶんD君かK君が持ってきた少年ジャンプで読んだのだと思う。両さんのプロトタイプみたいなハチャメチャなタクシーの運転手の話なんだけど、そのあまりの面白さにクラスで回し読みとなった。その時のワクワクした空気感みたいなものは今でもよく覚えている。

その勢いで『こち亀』の連載が始まった(※5)と記憶している。確かに最初は面白かったけど、子供の飽きるテンポも速いもので、何話か連載を読んでいるウチに飽きてしまった。当時は自分でマンガを買うというのはほぼなくて、友達のを読んで楽しむ「美味しいトコ取り」だった。自分なりに所有権があれば、それなりに楽しむのだろうけど、どうもそこまでは行かなかった。だから、小6の夏に「こののマンガ、面白くなってるじゃん!」と改めて驚いたわけだ。

『こち亀』の第一巻から集め始めたのは、この時からだった。改名前のペンネーム"山止たつひこ"が表紙に記載されていたし、表紙見開きの"著者近影"は作者本人の白黒写真だった(現在は秋本始名義で、近影もイラスト)。集めたのは最初の7巻ぐらいまでだったけど、これを中学2年生の頃、ビートルズのレコードを買うために二束三文で売り飛ばしてしまったことは今でも後悔している。
後の版ではセリフや絵を書き直してしまっているから、"山止版"は今ではプレミアがついているに違いない。

その時は売り飛ばしてみたものの、その後も何かと人生と交錯しながら『こち亀』は読み続けた。外来語を絶対に話さないおじさんの話(※6)は、高校(市川市国府台)近くの中華料理店『鴻昌(こうしょう)』で大好物のチャーハンを食べながら読んだ。オリンピックの開会式の後は日暮の登場に期待しながらジャンプのページをめくった。
予備校や大学近くの定食屋で読んだあの話やこの話、サラリーマンになって営業途中のラーメン屋で読んだあの話やこの話、どこそこの床屋さん、行き付けの飲食店.....そんな風に各話の内容と、読んだ場所の記憶とがオーバーラップできるのが『こち亀』の凄いところだろう。

実は単行本も再び買いそろえている。サラリーマンになってから結婚した頃には120巻ぐらいまで集めたし、一時は『平和への弾痕』や『Mr.Clice』なんていうレアな単行本まで揃えたけど、置き場所にも困ってきたので、結局ほとんどを手放してしまった。

1970年代の秋本始が『こち亀』を通して発信していた文化は、リアルタイムで秋本自身の内部から自然と出て来るものだった。それが70巻を越えたあたりから次第に無理が出てきて、今では文化の研究レポートみたいになっている。こういうマンガの宿命なんだろうけど、それでもよくぞ頑張って書き上げてきたものだと思う。

昨日、そんな「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が40年にわたる連載を終了するというニュースが駆け巡った。ここ10年近くはジャンプ以外では読まなくなってしまったのも事実だ。だけど奇想天外の宝庫としてワクワクした小学生が50のオッサンになって「『こち亀』のピークって25巻ぐらいから50巻ぐらいかな」なんて抜かすようになっている。それってそれなりの時間を人生に寄り添ってきた漫画だから言えることだし、あの時のカルチャーショックがあればこそ言えることなんだと思う。

これからもいつも奇想天外な驚きを感じ続けたいなと思いつつ、おしまい。

※1:なんとなく連れて行かれた。現在は立派な建物になっているけど、当時はプレハブ小屋みたいな建物だった。
※2:『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を『こち亀』と略すようになったのは80年代後半位ではないか?それ以前は『両さん』とか『亀有』とか読んでいたような記憶がある。
※3:38話「富豪巡査・中川の巻」はジャンプ1977年29号に掲載。29号は7月に発売されていると推定されるから自分の記憶は正しいと思う。単行本では5巻に収録(以後『こち亀データベース』さんのサイトを参考にさせて頂いた)。
※4:1st Seasonの最終回「黄金の大勝負!」という話。これは大人になってから知って驚いたのだけど、宮崎駿が制作に関わっていたらしい(宮崎本人もチラッとアニメで出演しているそうだ)。
※5 :ここは自分の記憶が違っていたようだ。僕は長年にわたって『交通安全’76』で新人賞受賞→『こち亀』連載開始だと記憶してきたのだけど、実際はそうではなかった。まず『こち亀』第1話が1976年4月の「月例ヤングジャンプ賞」に入選し、6月に掲載された。次いで『交通安全’76』が掲載され、9月になってから改めて『こち亀』の連載がスタートしたらしい(Wkipediaによる)
※6 :143話「大和魂保存会!?の巻」(ジャンプ1979年34号掲載、単行本としては1981年発行の16巻に掲載)
僕は1981年4月に高校に入学しているから、単行本で読んだ可能性が高いけど、どうもそうだったという記憶がない。あの店はずいぶん前のジャンプまで並べていたから、あるいは2年落ちの油まみれのジャンプを読んだ可能性がある。