大岡信先生の思い出

「折々のうた」で知られる詩人 大岡信さん 死去

大学にも「1年〇組」というのがあって、担任がいると知ったのは入学後のことでした。
そして、何の偶然か何の縁かはわかりませんが、大岡信先生は私のクラス担任だったのです。

当時から先生は朝日新聞に「折々のうた」を毎日連載されており、詩人としても文学評論家としても大変有名な方でした。

そんな凄い方が、文学部ではなくて法学部のいちクラスだけの担任だったのだから凄い話です。
オリエンテーションの際に職員の方から「このクラスの皆さんはラッキーでしたね」と言われたぐらいですから。

そして我々は先生の授業「近代文学」を受講することができたのです。それは無茶苦茶面白いものでした。

先生の授業は「言葉のひとつひとつを大切にする」というものでした。
近代文学の名作、谷崎潤一郎「刺青」、横光利一「機械」「春は馬車に乗って」などのテキストを元に、一語一語の言葉の使い方や修飾の工夫について丁寧に解説してくださるものでした。そうした中からその作家の作風、そして時代背景を浮き彫りにしてゆくのです。

その授業を受講できたのは、何千人といる学内で我々のクラスだけだったのですから、本当に「ラッキー」でした。
そして我々が教養課程(1-2年)から専門課程(3-4年)に進む時、先生は私のいた大学の教授を退任されたのです。1987年のことでした。
振り返ってみると、実に貴重な機会でした。

一度だけですが、クラスで先生と飲みに行ったことがあります。
当時の自分は泉鏡花にハマっていました。先生にそのことをお伝えしたら「鏡花の文章には一語一語に言霊みたいなものが宿っています。そういう意味で珍しい作家でしたね」と言われたのを覚えています。

大人になってから振り返ると、もっともっとお付き合いさせて頂きたかったなと後悔至極でした。
もっとも文学を熱く語れるほどの教養も私にはありませんが(;^_^A

「言葉を紡ぐもの」との縁といえば、僕は祖父を思い出します。
祖父はたまたま高校の英語教師が詩人の土井晩翠でした。そう『荒城の月』の作詞で有名な人ですね。

祖父は卒業後も晩翠先生との師弟の関係を大切にし、昭和27年に先生が亡くなるまでお付き合いさせて頂きました。
(ちなみに晩翠先生も大岡信先生も文化勲章受章者となりました)。
僕はといえばせいぜい先生の影響で文学部「日本近代文学」講座の他学部聴講に通ったぐらいでした。

当時の自分は、軸足を法学とか音楽とか古都とかアルバイトに置いていて、文学までカバーしきれなかったのでしょう。
狭かったなぁ~と思います。

先生、ご冥福をお祈りいたします。
私がそちらへ行けたら、再受講させて下さいませ。