もう知らんよ

自己の意にそわないことがあったから、刃物を振り回した。
犯人はわずか1歳の子供、そして自分の父親を殺害した。

「意にそわないこと」とは、あくまでも犯人の頭の中にある論理から生まれたもの。
その論理は常人の論理とは全く合致しない。
おのれの意にそうようにするには、
破壊の衝動をチラつかせ。
周囲に対して義務でもないことを強要し、
周囲の権利を侵害するレベルで自己の権利を主張する。
よくある事件に共通したものがあるとしたら、それだ。
それに応じないことは「意にそわないこと」になる。
だから常人の感覚からすると、予期せぬ形で理不尽に襲われることになる。

今回の事件だけど、両親は意にそわないことがあればいつなんどき暴力を振るうかわからない息子のために、腫れ物を触るように接してきたのだろう。その事を親の責任論として非難することもできる(ただ息子は30歳なわけだが…..)。
だがこうも思う。極限状態の日々が続けば(おそらくは15年間)、一種の洗脳状態になっていた可能性は充分に考えられる。僕ならば2ヶ月でたくさんだ。でも両親は逃げられない。
それが「ネットオークションで300万の借金」という状況になって冷や水を浴びるように覚醒し、ネットを切断した瞬間に最悪の事態となった。気の毒でならない。

犯人は警察署で自己の犯罪を正当立てるために、虚実織り交ぜながらあれこれ犯行を理由や経緯を語っているのだろう。死人に口なしもいいところだ。
だけど、その論旨は根幹において破綻しているはずだ。
義務でもないことの強要、権利の侵害.....そして被害者は自分であるという主張。
「自分は義務を果たすつもりはない。できないからだ。だけど(時には「だから」となる)周囲の人間(あるいは特定の誰か)は自分に対して義務を果たすべきだ。だが、それをしてくれなかった。許せない。自分はかわいそうな被害者である」
これに尽きる。

このロジックから抜け出せずにループしている人には、誰もが責任を持てないし、僕自身も関わりたくないと思う今日このごろである。