祖父が遭遇した「湯の花トンネル列車銃撃事件」がTBS「戦後70年 千の証言スペシャル-私の街も戦場だった-」でとりあげられます

1945年8月5日、僕の祖父小野寺五一は、中央本線の高尾(当時「浅川」)と相模湖(「与瀬」)間で米軍戦闘機の銃撃を受け、九死に一生を得ました。
その現場は圏央道の八王子JCTのほぼ直下。
巨大な建造物とは対照的に、今でも当時とさほど変わらない長閑な風景が展開しています。

(惨劇の現場)
銃弾は祖父の眼鏡と腕時計をかすめましたが、奇跡的に祖父は助かりました。
しかし、別の銃弾は祖父の真ん前に座っていたどこかのお母さんが抱いていた子供(赤ちゃん?)の頭を撃ち抜きました。
この「湯の花トンネル列車銃撃事件」は、死者は52名とも65名ともいわれ、戦時中最悪の列車銃撃事件だったのです。
僕はこの事件に関して「祖父と湯の花トンネル列車銃撃事件」という記事に書いたことがあります。もう7年前に書いた記事ですが、今でも沢山のコメントを頂戴します。

この時、祖父が亡くなっていたら僕はこの世に存在しません。
我々が存在するということは、それ自体が奇跡に近いのだと思います。
単純に生産的に脈々と血が受け継がれてきたなんてことは、この世界ではありえないでしょう。
他人や自分を傷つけたり生命を軽んじたりする事は、自分の存在という「奇跡」を否定することで、脈々と続いてきた「奇跡」も否定することになると思います。

3月9日21時からTBS「戦後70年 千の証言スペシャル-私の街も戦場だった-」で、この事件がとりあげられます。ぜひご覧になって下さい。