善光寺地震と臥雲の三本杉

ぶうらぶら

長野市の西端に「中条」という地域がある。数年前までは「中条村」というそれらしい地名があったのだけど、現在は長野市に編入してなんだか味気ない住所になってしまった。

虫倉山に抱かれた南北の急な傾斜地に集落が点在し、集落と集落とを長く曲がりくねった山道が複雑に結びあっている。

(あまりにも複雑すぎていまだにどこをどう走ったのか自分でもわからない)
長野市中条
(対向車が来てもどうしようもない)

とりたてて観光地と言えるものがあるわけではないけど「山村」という言葉がこれほど似合う場所は滅多にない。新緑の急斜面にへばりつくように農家が連なり、それは雪舟の水墨画のように見える。わずかな平坦地には棚田があり、遠く北アルプスを望むこともできる。
臥雲の集落
(中条日下野臥雲(なかじょうくさがのがうん)の集落)
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(臥雲寺からみた北アルプス)
今まで行った里山の中ではベストの部類に入る美しい所だと思った。

実はこの付近、そんな美しい風景とは裏腹に1847年に発生した善光寺地震によって甚大な被害を被った場所でもあった。地震発生とともに虫倉山の各所で地すべりや崖崩れが発生し、いくつもの集落が地の底へと消えた。

そんな虫倉山周辺の被害を象徴する杉の巨木が今でも残っている。
臥雲の三本杉
(臥雲の三本杉)

曹洞宗の古刹、臥雲寺の門前にあるこの杉、根本から3mぐらいの所で3本に分かれているため「三本杉」と呼ばれている。
樹齢は600年のこの巨木、今から168年前に自然の力で180mも移動しているのだ。
臥雲の三本杉
善光寺地震の際、この臥雲集落でも大規模な地滑りが発生した。当時でも樹齢400年を越える巨木だったこの杉は、寺ごと180mを滑り落ちて再びそこに根付いたのだった。
臥雲の三本杉
地すべりの影響で斜め45度に傾きながらも、今日も生き続ける。壮絶な生命力、としか言いようがない。

地震当時、松代藩の月番家老だった河原綱徳が記録した「むしくら日記」というのがある。伝聞と見聞による地震の生々しい記録だ。地域情報紙「週刊長野」さんのサイトで"「むし倉日記」を読む“というのが最近まで連載されていた。現代語訳版(抜粋)で大変面白いものなので、災害史に興味のある方はぜひ読まれることをおすすめする。
臥雲の三本杉根っこ
(臥雲の三本杉、根っこ)
ここに臥雲院で地震に遭遇した松代藩代官の手代(役人)の鈴木藤太の体験談が河原によって記録されている。
17 臥雲院で ~庫裏がつぶれて逃げ出す~」というのがそれだ。
鈴木は臥雲院の庫裏で事務処理をしている所を「北西の方から虫倉山が一時に砕け」と言っている(あるいは書いている)。
素人考えでみるならば、揺れを感じるというより、いきなり山崩れ(あるいは地すべり)を感じているのだから、震源地から近い場所での直下型地震を体験したようにも思える。ちなみに臥雲院から前々回の記事で書いた「小松原断層」までは7.1kmという距離だ。断層の西側=中条側がせりあがったため、被害が大きかった。
臥雲院
(臥雲院)

これは建物が倒壊するぞとあわてて庫裏を飛び出した彼の背後で「庫裏は早くもひしひしと押しつぶされた」
裏の畑に逃げ出して、一抱えもある大木にしがみついた所「たちまちこの木がずるずると1丈(約3メートル)ばかり抜け下った」ので、あわててそこからも逃げ出す。
ここで例の三本杉が登場する。

この寺に名高き三本杉は大門の辺りにあった。このような老木であれば、根のはびこりも大きいと思う。この杉は根元の直径が6尺(約1.8メートル)ほどだという。この元に行けば、危なくなく、命も助かると、やっと近づくとあまたの雑木が倒れ重なり、暗くて大杉は見えなかった。

臥雲の三本杉 根っこのくぼみ
(臥雲の三本杉、根っこの窪み)

さては杉の木もどこかへ行ってしまっのだろうかと不思議に思いながら、その大木の近くにあった観音堂に上がろうと思って周囲を見渡すと、あきれたことにお堂ははるかに斜面を見上げる程の高い所にある。この時、鈴木藤太は自分の足元の地面がそれだけの距離を「抜け下」ったことに気づくのだった。
臥雲三本杉の窪み
(別にのぞかなくてもいいのだけど臥雲三本杉の窪み内部)

当時、このあたりは念仏寺村という所で「平沢」「臥雲」の2集落が地すべりと山崩れの被害に遭った。
さらに梅木村「城の越」、地京原村「藤沢」「横尾」、伊折村「太田」「高福寺」「横内」「荒木」、和佐尾村「栗本」など虫倉山山麓の集落「五ケ村十一組」が埋没し、「人家七十軒、男女百九十九人、馬三十頭」が埋没したと「むしくら日記」には記されている。
臥雲の三本杉解説板
(お約束の解説板)

三本杉から急坂を百メートルほど上った所に現在の臥雲院がある。
臥雲院山門
みれば山門がカラーコーンで囲まれて立ち入り禁止になっている。心なしか山門が右に傾いている。
臥雲院山門の柱のずれ
山門の柱はこんな風にずれてしまっている。
臥雲院山門の補修
実は、自然の中を走らせながらもそれは感じていた。
昨年2014年11月22日に発生した「長野県神城断層地震」ではこの中条付近は震度6弱を記録しており、またもや臥雲院は被害を被っていたわけだ(ほかにも本堂の壁の崩落、灯篭や墓石が倒壊したらしい)。

我々は仏像を拝観するために中条日下野の正法寺というお寺へも行ったのだけど、
中条日下野付近のがけ崩れ
途中の山道は大変なことになっていたし、たどり着いたお寺さんでは本堂がブルーシートに覆われて痛々しい姿となっていた。

中条日下野 正法寺の被害

中条日下野 正法寺の被害

 中条日下野 正法寺の被害
過疎化が進む中条では震災から半年が過ぎてもこのような状態だったし、震源地となった白馬村に至っては復旧にはまだほど遠い状態だった。
もちろん東日本大震災の被災地でも人手は足りていない。いっぽう東京ではオリンピックに向けて建築ラッシュが続いている。
時代の流れに押し流されそうなもの、それを眼前に突き付けられた感じがした。

それでも臥雲院の三本杉は、この鄙びた風景の中に押しとどまって、その力強い生命力で屹立とそびえている。