広島拾遺(1) taiさんの家

管理人のたわごと

人間の縁とは不思議なもので、taiさんとは戸部のBlue JayにおけるThe Losebeatのライブでお会いしたのだった。
すでにこの時点で十ウン年というThe Losebeatのファンだったtaiさんと初対面のような気がしなかったのは、リュウちゃんのおかげもあるし、The Beatlesという共通の言語があったからだと思う。

その後、Losebeatは活動を休止し、taiさんは広島へと引っ越された。そんなわけで、よく考えると今までお会いしたのはわずか3~4回だった。にもかかわらず、あつかましくも僕と娘は広島県廿日市市にあるtaiさんのご自宅におじゃましてしまったのだ。11月2日のことだった。宮島から戻ってフェリーを下船したところまで、taiさんは車で迎えに来てくれた。わんわんのリボンちゃんも一緒だ。市街地から西へとずっと車を走らせたところに、taiさんのお宅はあった。

玄関を入るとさっそくFAB4がお出迎えだ。
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そしてJohnのポスターが飾られた階段を登ってゆくと....
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2階にその部屋はあった。
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部屋のおおよそ3分の2がBeatles、3分の1がLosebeatのメモリアムスペースとなっていた。

僕が見たかったもののひとつがこれ。
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ミミおばさんの家の水道水」だ。両親の離婚、母親が他の男と同棲したため、Johnはこのミミおばさんの家で育った。taiさんはリヴァプールに行くたびに、ここでお水を汲んでくる。汲んだ年によっては水の濁りが早いのだという。
「ちくしょ~飲みてぇ~」と思う。この心理は好きな人にしかわからない。

お次はStrawberry Fieldの落葉。
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ミミおばさんの家の近所にある孤児院施設で、Johnはここでよく遊び、後に「Strawberry Fields Forever」のモチーフとなった。
「ちくしょ~食べてぇ~」とは思わないが、まだ行ったことのないリヴァプールへ想いを馳せる。

「5人目のビートルズ」と言われる人は何人もいるけど、この方もその一人。
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Pete Bestのサインだ。デビュー直前にThe Beatlesのドラマーを解雇され、史上空前の「運」は彼ではなくRingo Starrの手へと渡ってしまった。
taiさんはPete本人と会ってサインをもらったのだ。その時一緒に撮影した写真も見せて頂いた。そこに写っているPeteはとても穏やかそうで幸せそうだったのにホッとした。大きな嵐はすでに去ったのだ。故郷に住み続け、世界中から彼に会いに来る人たちとコミュニケーションをする。警備員に囲まれた家の中で暮らす元メンバーたちよりどれだけ幸せかわからない。

そして、この絵とも3年ぶりに再会した。
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2006年12月3日、Blue Jayで行われたLosebeatのLiveの際、当時小学校2年生だった僕の次女がリーフレットの裏にササっと書いた絵だ。一番右の「ジョン」と書かれたリュウちゃんのニタっと笑った顔がそっくりだ。この絵は「ぜひ欲しい!」というtaiさんの手に渡った。taiさんはこの絵をわざわざ額に入れて、大切に保管してくださっていたのだ。親としてこんな嬉しいことはない。

taiさんは昭和41(1966)年のビートルズ日本武道館公演を見にいっている(たしか7月1日公演)。僕が人生の中で出会った3人の「目撃者」のひとりだ。その時の感動や衝撃がどのぐらいのものだったかは、あれから43年が経ってもいまだ古あせていないことからよくわかる。ここにあるさまざまな品々はいわゆる一般コレクターむけの「貴重品」とか「レアもの」というのとはちょっと違うかもしれない。

だけどtaiさんの大切な「想い」や「感動」がこの部屋には一杯詰まっていた。「想い」や「感動」には値段はつけられない。愛がお金で買えない(Can’t Buy Me Love)と一緒だ。

そして僕と娘のこの旅行に値段がつけられないのと一緒だ。taiさんには美味しい手作りのカレーをご馳走して頂き、2人でずっとBeatlesに関するマニアックな話を続けた。George Harrisonの追悼ライブも見た。その間、娘はリボンちゃんと遊びまわっていた。
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夜は、taiさんご夫婦は我々をわざわざ広島市内のホテルまで車で送って下さった。
旅先での温かさというものは格別だ。ひときわ心にしみた。
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taiさんの家の周囲の山々は色づきはじめていた。まもなく全山茜色に染まるのだろう。

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