数字と元号

中学校2年生の時の話。数学の先生が授業の最中にこう言った。

「数学は、この世で一番美しい学問だ」

理由はこうだ。

「数式には必ず回答がひとつしかない。1たす1は必ず2になるし、1かける1は必ず1になる。
答が常にひとつしかない学問は数学しかない。だから一番美しい」

子供心に「そうかぁ?」と思った。
僕にとっては近畿地方にあったか九州地方にあったかわからない邪馬台国論争の方がよっぽど魅力的だったし、中二病的な発想で「答えがないから人生は美しい」ぐらいのことは思っていた。
数学なんて無機質で退屈な学問で、そこに美しさなど感じる感覚なんて、まるでなかった....

...というような書きだしの場合「やがて数学の本当の魅力を感じるようになり、今では数学の博士号を持っています」的な展開になるわけだけど、このBlogの場合は断じてそれはない。
いまだに僕には数字に対する感覚が全くない。よくこれで経営者なんてやってゆけるなと思う。思うけど、何とかなってしまっているところが恐ろしい。

数字を見ると頭が痛くなる。いまだに覚えた数字はたいがい忘れてしまう。
自分の会社の住所番地を忘れる。郵便番号や電話に至っては自宅と会社のものがゴチャゴチャだ。
会社と自宅の電話番号を間違えて相手に伝えたことは1回だけではない。いつ仕事の電話が自宅にかかってくるかと思うと、ヒヤヒヤする。
それどころか、自分の会社の前期の売上高と経常利益の数字がパッと出てこない。
自分の車のナンバーはいまだに覚えられない。

「数字」ですらこんな状態の人間にとって、「数学」など異界の魔王に他ならない。

そんな僕にとって一番厄介なのが、「西暦」と「平成」の計算。
平成時代というのは昭和と違って「5」の数字が意味をなしていない。
昭和の場合は西暦の下2ケタから25を引けば年号の計算ができたのだけど(例1965年=昭和40年)、平成になってそれがわけのわからないことになってしまった。
5で区切られる数字の変換は数学的ではなく感覚的に行うことができる。
昭和天皇があと2年長生きしてくれればと、それが悔やまれてならない。
なぜなら1991年が平成元年になったからだ。

たとえば教室の発足は2004年なのだけど、これを平成で尋ねられると全くわからない(答は平成16年らしい)。
娘の生まれた年が1996年と1999年だというのはわかっているけど、いまだに平成で尋ねられると咄嗟に答えられない(答は平成8年と11年らしい)。

しかも平成というのは、途中で2000年代に突入したものだから、ますます僕の頭は混乱してしまっている。

よく人に呆れてこう言われる「西暦の下2ケタに12を足せばいいんだよ」。

ところがその簡単な12という数字が覚えられない。
西暦の年に足すのが正しかったか、引くのが正しかったかわからなくなり。
「これって平成の年から西暦の年を算出する計算だったっけ?」状態となり、
結局「面倒だ」という理由で西暦で日付を書くようになって、もはや24年となった。

ちなみに今年が「平成24年」なことに、いま気づいた。

もう嫌いだ元号なんて....

P.S.会計事務所様、いつもご迷惑おかけしてすみません< (_ _)>