いおん

2013/3/28 木曜日

大学4年生(1989年)の就職活動では、流通業界を目指していました。
ある時「ジャスコ(現在のイオン)」の会社説明会に行ったことがあります。
まだ神田のオンボロビルに本社があった時代です。

もう時効でしょう。会社説明会の時に人事の方がこんなことを言ってました。
「もしお客様がお店の商品...ガラスの器を落として割ったとします。ヨーカ堂さんでは10人の店員が10人揃って”お怪我はありませんでしたか?”とマニュアルに沿った言葉を言うのですが、ウチは10人が10人とも異なった対応をするんですよね。悪い意味で言えばいい加減なんですが、いい意味で言えば自由度が高い。だからそういう社風に魅かれる人には自分の力を発揮できる職場だと思います」

あと、こんなことも言ってました。
「創業者の岡田(卓也)の家訓に"大黒柱に車をつけておけ"というのがあります。もし不採算のお店があるならば、いつでも店を閉めて自由に動けるようにしておけ、という意味です。スクラップ&ビルトですね。我々は店舗物件を購入せず、必ず賃貸契約で借りるようにしています。ダイエーさんはそうじゃない。出店する際には土地を購入し、店舗を建てる。だから不採算のお店ができると、資金を投入してテコ入れをするわけです。ガンとして動かない、動けないわけです」

今ではもっともっとシステマチックに動いていると思いますが、当時のジャスコにはマニュアルに縛られないいい加減さ....いい意味での柔軟さがありました。
自由度の高い出店戦略も同様です。さらに社内に「ジャスコ大学」を作って、人材育成に力を注いでいる姿なども印象に残りました。
ダイエーは自分の性にあってないと思っていたし、イトーヨーカ堂のPOSシステムや人事管理システム(残業超過するとアラームが鳴るというウワサもあった)は凄いと思いましたが、機械に管理されている雰囲気。
自分にはジャスコが一番性にあってそうだなぁ~と思っているうちに、愛着が評価されたのか内定を頂いてしまいました。

ところが、アルバイトしていた某百貨店からも内定が出てしまい、究極の選択を迫られました。

結局、僕が選んだのは某百貨店でした。
時代が時代だけに、百貨店の持つブランド力に目が眩んでしまったのですね(まあそれだけではありませんが)。

しかし、どっちを選んでも結果は同じでした。単位がわずか4つ足りなかったばっかりに、大学に留年したお蔭で内定は取り消されてしまったのです。
流通小売業界の夢は断念せざるを得ませんでした。まったく大馬鹿野郎です。
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翌年、食品会社に入社した僕は「売る立場」から「造る立場」へとシフトチェンジし、モノ作りの大切さについて多くのことを学びました。
ちなみに、ここで社内恋愛で結婚したわけですから「単位4つ」で人間の運命なんて変わるんだなと妙な達観をしています。
さらにCDショツプの店長に転職した僕は、今度は「売る立場」で、その後のジャスコの成長を見ることになりました。

たしか1997年のことだったと思います。尼崎の青年商工会議所が主催した岡田卓也さんの講演会に行きました。
その時の講演内容は、以前に読んだこの方の著書と大差なかったのですが、岡田さんご本人の口から「大黒柱に車を付けよ」と聞き、「そうそう、これが聞きたかったんだよね~」とヘンに得心している自分がいたのを覚えています。

さらに15年という時間がたちました。
昨日のことですが「イオン、ダイエー子会社化を正式発表」というニュースが報道されました。以前「中内功」という記事を書いたことがありますが、1989年当時の流通業界におけるジャスコの地位を思い出すにつれ、何とも感無量な気持ちになりました。

そうそう「ジャスコ」って「Japan United Stores Company」の略だったんですよ。