第25回稚魚の会・歌舞伎会合同公演

梨園の役者さんだけで歌舞伎の舞台が成り立つわけではなくて、一般からこの世界に身を投じた大勢の役者さんやお囃子さんから歌舞伎は成り立っているんですね。

血のつながりはありませんが、僕にとっては従兄弟の従兄弟にあたる尾上音蔵君もそんな一人です。大学卒業後に国立劇場の「歌舞伎俳優研修」で2年の研修を経て、現在は尾上菊五郎、菊之助の弟子として活躍しています。

そうした役者さんたちによる「発表会」に行ってきました。

研修修了者による発足した「稚魚の会」、そして幹部俳優に直接入門した名題・名題下俳優を中心とする「歌舞伎会」の両会が日頃の修練の成果を発揮する場として毎年八月に合同公演を開催しています。

リーフレットより
国立劇場

今年は歌舞伎は二度目ですが、今回はたまたま客席が花道の隣だったので、開演前に花道を撮影しました。もちろん舞台は撮影できませんから、こちらでお茶を濁してください。

「男の花道」感を出してみました。

「檜舞台」と言うだけに、ヒノキを使っていました。年代物というわけではないようです。ヒノキの香りは感じませんでしたが、かといって匂いを嗅ぐというのも妙です。比較的新しいものに思えました。

音蔵君の演題は「三社祭」。坂東やゑ亮さんと二人での激しい踊りが繰り広げられます。

イヤホンで解説を聞いていると「日本版くるみ割り人形」という感じでしょうか。三社祭の山車に飾られる人形(今成と武成)に魂が宿って隅田川で漁をしていると、空から「善と悪」の雲が降りてきて二人の心に宿り、という「宿り」の二重構造でして、まあ奇想天外かつ複雑な構成の踊りなわけです。

照明が埋め込まれています。

ユニークなのは二人が顔に「善」「悪」のお面を被って踊るシーン。雲が二人を包み込み、それぞれに「善」「悪」の心が乗り移っての踊りとなります。やゑ亮さんが善玉、音蔵君が悪玉役です。

ところが「善だ悪だ」といっても、別に悪さをするわけでも善行をするわけでもなくて、言葉遊びに近いパントマイムなんです。歴史上の悪人の仕草だったり、「善は牛にひかれて善光寺」という言葉遊びだったり、これを踊りで表現してゆくわけです。

釘は頭がでないようにしています。

二人は10分を超える激しくてユニークでダイナミックな踊りを、美しく楽しそうに踊っていました。

25分の休憩の合間に一服しようと喫煙所(劇場の南へ3分の1周りした場所)へ行ってたら、わざわざ従兄弟君が僕を呼びに来て「今から楽屋へ音蔵君に会いに行くって」とのこと。あわてて速足で楽屋口へ向かいます。

この時に北回りをしたため、劇場を3分の2周りしたトコロが楽屋口でした。

「国立」劇場に神社とはあら不思議
国立劇場の楽屋案内図。大部屋が少なくて小部屋が多いのがこの世界の特徴なのでしょう。

他の演目も書いておきます。

時代物というのでしょうか「一條大蔵譚」は、バカ殿が実はキレ物というストーリー。狂言をベースにした「棒しばり」は、懲罰として棒で両手を縛られた男と、紐で後ろ手に縛られた男が、酒蔵で協力しあって酒の飲み盗む話。

もうひとつの踊りだった「関三奴」は毛槍を振り回しながら踊るこれまたダイナミックな踊りでした。

「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」は春日八郎の「お富さん」の元ネタ。歌は知ってましたが元ネタがどんな話なのかは知らなかった。それをようやく知ることができました。この曲がヒットした昭和20年代には、このストーリーを知っているという事は人々の間では常識だったんですね。

舞台終了後に音蔵君と、実はこれが初対面。

バラエティに富んだ演目だったので飽きることなく楽しめた4時間でした。改めて歌舞伎っていうのは洗練され尽くした舞台なんだなぁとも思いました。