【三遊亭金翁師匠追悼】マルサン商店提供「陸と海と空」【昭和35年の録音公開】

8月27日、三遊亭金翁(四代目三遊亭金馬)師匠が亡くなられました。享年93歳。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

僕が最後に師匠の高座をみたのは2016年10月12日の『横浜にぎわい座』、演目は『ねぎまの殿様』でした。この時は桂歌丸師匠の『壺算』もみています。

すでに歌丸師匠は自力で高座に上がるのが難しく「板付き(幕が上がるとすでに高座に座っている)」での出演でした。一方の金馬師匠は板付ではないのですが「膝が悪くて正座できない」との事で前に演台を置いての高座でした。

「歌丸さんは正座できるだけ偉い」「年を取ると毎日が楽しい、だって今日何があっても、明日何が起こるかわからないから」なんていうダミ声の前振りで会場を温めていました。

考えてみると先々代の三代目三遊亭金馬も事故で足が不自由になったため『板付き』でした。
三遊亭金翁師匠がこの「金馬さん」に入門したのは1941年7月の事でした。すでに満足に落語などできない時代に、師匠はこの世界に飛び込んだのです。

さて、師匠は昭和30年代、三遊亭小金馬の時に最新メディアだったテレビで人気を得た落語家でした。最も有名なのは1955年から10年にわたってNHKで放映された「お笑い三人組」です。3代目江戸家猫八、一龍齋貞鳳との軽妙な掛け合いで、伝説的なお化け番組となった作品です。

三代目金馬が昭和初期からレコードというメディアを最大限に利用して人気を得たのと似ていますね。

さて、当時の師匠は、大のプラモデルマニアでした。海外から商品を取り寄せて制作するほどだったそうです。元来乗り物好きという事もあり、航空機などの試験飛行などにモニターとして招待される事も多かったそうです。

それに目をつけたのが日本初の国産プラモデルメーカー『マルサン商店』でした。国産プラモデル宣伝普及にため、開局間もないフジテレビで「陸と海と空」の放映が開始したのは昭和34年のこと、そこで師匠は司会に抜擢されたのでした。タイトルからもわかる通り「陸の乗物」「海の乗物」「空の乗物」を紹介した番組でした。

あろうことか僕の母はこの番組に出演した事があります。
当時、母は全日空のスチュワーデス(CA)だったのですが、そうした仕事を紹介する回に出演する事になったのです。

婚約者だった父は、この番組を録音(録画ではありません!)するために、高額だったアカイ(AKAI)のオープンリールデッキを購入しました。初任給が1万六千円ぐらいだった時代に、1万円もする代物だったそうです(実は母の実家が随分お金を出してくれたらしい)。

そして放映の当日(生放送だったのでしょう)、テレビの前にマイクを置いて番組を録音をしたのでした。

正確な録音時期はいまだに不明です。ただ番組中で母(小野寺さん)は「(入社が)8期で、単独で飛ぶようになって1年3ヶ月」と言っています。母が入社したのは昭和34年4月です。仮に「単独で飛ぶまで」2ヶ月の研修があったとするならば、この放送は昭和35年9月頃という事になります。

番組中では航空機「バイカウント」の話題で盛り上がっています。ANA社史によれば『バイカウント744、東京/札幌線に就航(国内初のターボプロップ機による運航)』は昭和35年(1960年)9月11日の事だそうですから、辻褄は合っています。

現存するならぜひ見たいものですが、おそらくこの番組の映像は現像していないでしょう。もしかしたら前年に開局したばかりの『フジテレビ』というくくりでみても、現存する最古のコンテンツかもしれません。

録音を聞く限りでは「マルちゃん」というキャラクターがいて小金馬さんとの「からみ」があった事、番組後半では視聴者が自作の模型を紹介するコーナーがあった事などがわかります。

ダミ声小金馬さんのちゃいちゃいとした進行も上手いものですね。途中で何かが「ガチャーン」と落下する音がスタジオに響き渡っていますが、今なら放送事故でしょう。

全日空の名古屋支店(場所不明)から撮影されたテレビ塔。

動画では音声だけでは物足りないので、翌1961年の初夏に撮影された全日空の職場写真をスライドショーにしてみました。このカメラは父が、間もなく退職するであろう母に持たせたもので、全日空の同僚たちで撮影しあったと思われます。大空で操縦桿を握る母(!!)、戦前は戦闘機乗りだったと思われるパイロットたちの姿。名古屋地下街で食事する光景、全日空の同僚、小牧空港や米子空港の光景なども写っています。今ではありえないぐらいのんびりした時代でした。

ビッカース・バイカウント828か?飛行機は門外漢です。

10:48 からのセレモニー風景は、1961年6月27日に行われたビッカース・バイカウント828(JA8201)羽田到着の際のセレモニーではないかと思いました。お詳しい方のご教示をお待ちしております。

今から10年ほど前、落語協会を通してこの音源を師匠にお渡しした所、丁重なお手紙と手拭を頂く事ができました。それも大切な思い出となってしまいました。