砂の器(1974年映画版)ロケ地を行く [01]

映画『砂の器』

初めて野村芳太郎監督の映画『砂の器(1974年-松竹)』を観たのは1982年の事でした。場所は銀座の並木座で「松本清張映画特集」という2本立てだったと記憶してています。僕は高校2年生。いつも「ここではないどこか遠くへ行ってみたい」と考える年頃でした。

『砂の器』タイトル – 以下、画像は引用の範囲で使用します。 

映画は国鉄の蒲田操車場で男の撲殺死体が発見されるところから始まります。
警視庁の今西(丹波哲郎)と蒲田署吉村(森田健作)の執念の捜査によって、次第に天才作曲家和賀英良(加藤剛)の過去が明かされてゆきます。
映画のクライマックスは和賀の交響曲『宿命』(菅野光亮作曲)をバックに、巡礼の親子が旅する15分以上にわたるシーンでした。

追われるように故郷を出た父と子の巡礼が、貧困と偏見の中で親子の情愛だけを支えに四季の日本を旅する。
楽曲の美しさと映像の美しさとの相乗効果もあって、忘れられないシーンとなりました。

「旅情を掻き立てられる映画」なんて月並みな表現はどうかと思います。しかし『砂の器』は、1970年代初頭の日本がたどり着いた「ディスカバー・ジャパン」という空気の中で作られた作品である事は間違いないでしょう。

脚本を手掛けたのは橋本忍と山田洋次。
橋本は原作者の松本清張が親子の巡礼に触れたわずか数行の記述に着目し、ここを大きく膨らませる事で、推理小説を人間ドラマに仕上げたのでした。

今西警部補が島根県奥出雲『亀嵩』へ捜査に赴くシーンは、列車旅行のドキュメンタリーのように描かれている。

長い旅の末、巡礼の親子がたどり着いた先は奥出雲の亀嵩(かめだけ)という場所でした。
ここで親子は亀嵩駐在所の三木謙一巡査(緒形拳)に保護されます。三木と『亀嵩』という土地は映画の中で重要な役割を果たしています。

「いつか映像の舞台となった亀嵩(かめだけ)へ行ってみたい」。
そんな思いを抱きつつ、あっと言う間に40年が過ぎてしまいました。
この間に『砂の器』を何度観たかわかりません。

越中五箇山 相倉集落 -巡礼の親子が旅立つシーン-

映画『砂の器』より。親子が旅立つシーンで『石川県上沼郡大畑村』とされた場所。
映画『砂の器』より。親子が旅立つシーンで『石川県上沼郡大畑村』とされた場所。
映画『砂の器』より。親子が旅立つシーンで『石川県上沼郡大畑村』とされた場所。

石川県上沼郡大幡村。癩病(ハンセン病)に罹患した本浦千代吉(加藤嘉)は、息子秀夫とともに、追われるように村を去ります。昭和17年春の事でした。映画では巡礼の親子が旅立つシーンでロケ地となったのが、富山県南栃市の相倉集落でした。

GWに妻と富山方面へ旅行に行き、旅の最後に立ち寄ったのが相倉でした。
合掌集落といえば、20年前に白川郷と五箇山菅沼に行っているのですが、ここは初めてでした。ところが来た途端に物凄い既視感に襲われたのです。
「あれだ!"砂の器"のロケ地では?」。スマホで検索したら正解でした。

越中五箇山 相倉合掌造り集落

帰宅後、改めて映画を観ているウチに俄然亀嵩に行きたくなってきました。
実はこの5月は、もう一本旅行を予定していました。父のお供で姫路、岡山、広島へと親戚を回る旅で、僕は運転手です。
コロナ禍で延期に延期を重ねていましたが、ようやく実現となった旅です。

父の考えたスケジュールでは、広島県の三次に寄り帝釈峡で一泊でしたが、よくよく調べてみると松江自動車道というのが開通していて、三次から亀嵩へは1時間ちょっとで行けるようです。だったら行くしかない。父も「そのあたりは行った事がないから、いいよ」と賛成。これで決まりでした。

それではさらに『砂の器』の旅をしてみましょう。

出雲、下久野の金毘羅大権現石灯籠

映画では、亀嵩にたどり着いた本浦千代吉が病を得て座り込む場所。このシーン以外にも3度登場する印象的な石灯籠です。
実はこの石灯籠、亀嵩にはありません。亀嵩から木次線で宍道方面へ4駅進んだ下久野にあります。

『砂の器』という映画、舞台は亀嵩ですが、実際のロケでは亀嵩以外の場所で多くが撮影されているのです。

映画『砂の器』より。石灯籠。
映画『砂の器』より。別シーンにも登場する。
雲南市大東町下久野橋北側にある金毘羅大権現常夜灯。

橋本忍の『砂の器』シナリオ(兵庫県市川町 橋本忍記念館発行「橋本忍 人とシナリオ」収録)には特にこの灯籠に関する記述があるわけではありません。おそらくはロケハンの中で、その印象的な形状...出雲地方特有のものなのかもしれません...に惹かれた撮影スタッフが使用するようにしたのでしょう。

灯籠には「金毘羅大権現」「文久元年辛酉十月十日 下組中」と刻まれています。

映画に登場する石碑

同じように映画にも写り込んでいる石碑には「金毘羅神社常夜灯備金願主」と確認できますから「灯籠」と言うよりは「常夜灯」が正しいようです。
金毘羅信仰に関係があり、ある時期まで夜道(湯町八川往還あるいは広瀬木次往還)を照らす街灯として利用されていたのでしょう。

そばにある銘板によれば「昭和57年10月 県道改修工事のためこの地に遷宮」とありました。
現在は片側一車線の県道25号が下久野橋を越えて出雲大東の中心部へと続く道。それなりの交通量のある場所でした。

実はこれと似た灯籠は亀嵩の集落内にもありました。

亀嵩集落内の石灯籠

これは思いきり亀嵩の集落内にあり、野村芳太郎監督のイメージに合致しなかったのかもしれません。

出雲、下久野の駐在所セット跡

映画『砂の器』で「亀嵩駐在所」とされたセット(橋横の一階建て)
雲南市大東町下久野、湯谷尻バス停近く。橋の向こうに左に向かって舗装された道がある事に注意。

三木巡査(緒形拳)が勤務する亀嵩駐在所のセットが組まれた場所です。
映像をみる限りでは橋の向こう側にある民家のまん前に平屋建てのセットが作られた事がわかります。

たまたま通りかかった方に尋ねてみたところ、橋のたもとの段々となっている箇所をうまく利用して駐在所を立てたそうですが、そもそも橋が木橋からコンクリート橋に架替えられているため、当時とは様相がかなり変わってしまっているとの事でした。

この段差となっている基礎部分を利用した。背後に川に沿って舗装された道があることに注意。

実際の映像をみるとわかるのですが、民家を邪魔しないように川岸の断崖に飛び出すようにコンクリートの基礎を施工し、セットの建築場所を確保しているようにみえます。

『砂の器』より、駐在所セットの背後がわかるシーン。

しかし、ひとつ謎があります。映像に写り込んでいる一般民家と駐在所の間には、現状では舗装された道があるのですが、実際の映画シーンではその道が確認できません。現在もある民家に隣接する形で駐在所の母屋部分の建物がある事がわかります。

『砂の器』より、駐在所のセットを正面から撮影したシーン。駐在所の母屋前には畑らしきものがみえるが道路の入口はない。
『砂の器』より。現存する民家(右)と駐在所の母屋(左)との間には筵のようなものが干してあるが、道路はない。
『砂の器』より。上記画像に続くショット。母屋にカモフラージュをしているように思える。
『砂の器』より。さらに続くショット。駐在所前の土質が異なる事に気づく。
ほぼ同一アングルで撮影。実際にはこのように道路がある。

『砂の器』の撮影記録などを読んだわけではありませんから、あくまで推定となります。撮影当時は道はなかった。そこには駐在所の母屋に当たる民家が元々建っていた。その横、川岸の断崖部分に基礎を固めて駐在所と背後の台所(?)に当たる部分をセットとして追加した。既存の母屋部分は駐在所と時代感を統一するために、カモフラージュが施された。そんな感じでセットが組まれたのではないかと思います。

砂の器(1974年映画版)ロケ地を行く [02]に続く

ぶうらぶら

Posted by spiduction66