張紙
昨年の4月に都内某所で撮影。
「物乞い」とはすごい。
今の社会ならば言葉をオブラートに包んで「金品などを要求する人」という言い方をするだろう。
この張り紙を見た瞬間、とっくの昔に聞かなくなったような言葉が、時間を超えて出てきたような不思議な感覚に襲われた。
なんでこんなことを思い出したかというと、一昨日こんなニュースがあった。、
「東京の111歳男性、実は30年前に死亡していた ミイラ化で発見」。
その記事によればこの男性の孫になる人が"祖父は『ミイラになりたい』『即身成仏したい』と言って30年前に自室に閉じこもったままだ"と警察に説明したという。
この中に出てくる「即身成仏」という言葉に感じた感覚と全く一緒だったからだ。少なくとも21世紀の言葉じゃない。
さてさて、孫の話を信じるならば、この男性は「ミイラになりたい」と言ったようだ。これは「即身仏になりたい」という意味で言ったのだと思う。「即身仏」は死んで仏の姿になるという意味だ。
ただもうひとつ「即身成仏したい」とも言っている。こうなると意味が違ってくる。これは「生きて仏になること」、あるいは「生死を超えたところで仏になること」だと京都の東寺のお坊さんに聞いたことがある。僕の檀家のお坊さんも似たようなことを言っていた。
こうなると生死は超越しちゃっているわけだから、生きているとも言えるし、死んでいるとも言える。生きていないとも言えるし、死んでいないとも言える。
まあ、この点で遺族の人が抗弁したとしても、年金の需給資格はないだろうな。
だって「仏様」なんですから。
さて何の話だったっけな?
あ、そうか「物乞い」の話だ。
この老人が亡くなったと思われる1978年頃でも「物乞い」の人は珍しかったと思う。僕は1975年頃、川崎球場に「ロッテ日ハム戦」(うわあ)を見に行った際、川崎の駅前で見かけたことがある。後にも先にもこれが唯一回の記憶だ。
当時ですらかなり衝撃を受けたものだ。
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