大衆の中の孤独

管理人のたわごと

サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックの作品に、しばしば使われるモチーフがある。
「大衆の中の孤独」だ。

(Alfred Hitchcock)

主人公は平凡で善良な一市民。
それが唐突に事件に巻き込まれる。

そのパターンには大きく分けて2つある。

1:たまたま殺人事件や破壊工作の現場に居合わせてしまったパターン
「下宿人(1927)」「殺人!(1930)」「三十九夜(1935)」「第三逃亡者(1937)」「逃走迷路(1942)」「北北西に進路を取れ(1959)」「フレンジー(1972)」

(晩年の傑作「フレンジー(1972)」のオープニングテーマ。どうでもいいけどこの曲のCDを入手するのに10年かかった)

2:ある組織やある人の「誰も知らない秘密」を知ってしまったパターン
「暗殺者の家(1934)」「サボタージュ(1936)」「疑惑の影(1943)」「私は告白する(1953)」「知りすぎていた男(1956)」

そこからが大変だ。
パターン1では、犯罪者の濡れ衣を着せられて「お尋ねもの」となり、警察に追われたり、大衆に追われたりする。
パターン2では、大衆に知られることなく組織から追われる場合もあるし、大衆の中で自分だけが秘密を抱え込む場合もある。

主人公は大衆の中で孤独を感じながら、自分の力で真犯人を捕まえて無実を証明するか、秘密を証明するかしなくてはいけない。
観客だけは主人公が無実で正しいことを知っている。だから、そのプロセスを手に汗握りながら楽しむ。観客に対しても主人公は孤独だ。

こういう状況は映画の上だけではない。

いま横浜では厳戒態勢が引かれている。
各駅に警官が目を光らせている。1000万円の懸賞金は大衆の目も光らせている。

電車には乗るには監視カメラをかいくぐる必要がある。徒歩で遠方に逃げようにもあちこちに検問が張り巡らされている。簡易宿泊所のフロントは警察に通報するかもしれない、不動産屋のスタッフは彼が立ち去った後に警察に通報するかもしれない。ガード下で過ごそうにも明日からは梅雨になりそうだ。せっかく買ったカバンは捨てなきゃいけない。現金をどう持ち運びしよう。
頼りにしていた旧友は彼を売るかもしれないし、彼の逃避行につきあってくれるヒロインはいない。すでに別の組織が彼の口封じに動き出しているかもしれない。
テレビのニュースでは彼の動向が監視カメラ映像入りでオンエアされ、視聴者は彼の命運を読んでいる。

彼はいま、「大衆の中の孤独」を味わっているに違いない。

(誤解なきようにお断りしておきますが、高橋容疑者が無実であるとかないとかとかそういう意味で書いているのではありません)

追記:<オウム>高橋克也容疑者を逮捕 (毎日新聞 6月15日(金)11時14分配信)

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