あるマンションの話

管理人のたわごと

大学生最後の冬の話。
僕は小遣い稼ぎにお歳暮配達のアルバイトをしたことがある。

当時の僕は千葉県市川市の南行徳という街に住んでいた。
だから配達のコースは地下鉄東西線の行徳駅の周辺だった。

そんな街の一角にそのマンションはあった。
仮に「Lマンション」としておこう。

Lマンションはマッチ箱の形をした長さ100m以上にもわたる細長い2棟からなっていた。
おそらく当時の行徳では最大クラスのマンションだったろう。
ココの配達はそりゃあもう大変だった。
重いお歳暮を持ってむやみやたらと棟内を歩かさせられる構造だった。
それにいつもうす暗くてあまり明るい雰囲気ではなかった。
(まるでパルポート上大岡みたい)

何にもまして管理人のオッサンがヘンな奴だった。

当時のお歳暮って、現在とは違ってお届け先が不在の場合、マンションの管理人に預けるというのが普通だった。
それが管理人の役目だったのだ(今は知らないが)。

ところがここの管理人のオッサンが気難し屋というか何というか...

たとえば、お昼時間にさしかかると預かりを拒否される。
一度なんぞは「あんたねー、今お昼だよ。俺はこれから昼寝をするんだよっ!」
なんて言われた。どうもこの人にとってお昼の時間という奴は、昼寝をするために忙しいらしい。

仮に昼をずらしても(実際僕は途中からコースをずらして、この時間帯を避けて配達していた)、
預かってもらう際にいちいち嫌味を言われた。

こっちも次第に頭に来ているのだが、僕が雇われている運送会社の所長さん(といっても社員はひとり)があとあと配達の時に困っても大変だ。せいぜい「それが管理人さんのお仕事なのではないですか?」位の嫌味を言う程度だ。

まあそんなわけで、お歳暮期間が終了するまでの一ヶ月間、このマンションとこの管理人とのうっとおしいお付き合いが続いた。

それから16年の歳月が経過した。僕はこんなマンションのことはすっかり忘れてしまった。記憶の片隅なんてもんじゃなくて、大脳の細胞一個程度のメモリーにおしとどめたまま、脳天気に生きていた。

ところが、3月28日のTVニュースを見た時、あの時の記憶が一瞬のうちに鮮やかによみがえった。

姉歯元一級建築士の妻、彼女が飛び降り自殺をしたマンションは、まごうかたなき「Lマンション」だったのだ。

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