チャック・ベリーとノスタルジアと

おみおくり,管理人のたわごと

チャック・ベリー来日公演のチケットを握りしめた高校1年生の私が、新宿厚生年金会館へと行ったは1981年のことでした。

当時、チャックは55歳でした。
そんな高齢ロック・ミュージシャンなどいなかった時代の話です。
前年12月にジョン・レノンが亡くなり、81年早々にビル・ヘイリー(1955年にロック最初の大ヒット「Rock Around The Clock」をリリースした)が亡くなったばかりでした。

そんな中で、「この伝説的なロック・ミュージシャンを見ることができるチャンスはこれが最後かもしれない」と本気で思ったんですね。

会場に行くと、周囲は会社帰りのサラリーマンばかりでした。
40代ぐらいの人が多かったかな。学生服の私は目立つ存在だったと思います。

前座はまだ売れない頃のHound Dog。
当時、大友康平がビートルズ関係のラジオ番組のDJをやっていたのでたまたま知っていたのです。

やがてチャック・ベリーが登場。ジョン・レノンやポール・マッカートニーにも多大な影響を与えたミュージシャンの登場です。
スラッと背が高くて、パンタロンみたいなズボンを履いている。
ちょっとパンタロンの裾が広すぎるのがイケてないけど、想像していたよりもずっと若々しく見えました。

ところがステージがあまり面白くない。
ていうかあっという間に飽きてしまうんですね。

エラそうな事を書いて申し訳ないですが、なんだか演奏が「軽い」んです。
1950年代の編成だからとかそういう理由ではないです。いやむしろ1980年代音に合わせた演奏になっていたはずなんですが、なんとなく安っぽいんです。
キーボードを足した4ピースぐらいの編成だったと思いますが、音がスカスカ抜けちゃっていて、ぜんぜん響いてこないわけです。

今だったらその理由がわかります。
レコードで聞いたような「黒さ」がなかったんですね。黒さ特有の独特の重量感みたいなやつが。
多分ドラムスとか1980年代風にチューニングしていたんじゃないでしょうか。当時はそこまではわからないから「何か軽いなぁ~」と思うのみ。

いま思うと、チャックがアメリカからサポートメンバーを連れてきたのではなく、招へい側が日本で適当にロックンロール弾けそうなミュージシャンを集めたんのではないかと思います。(どなたかご教示頂ければ幸いです)。

それと...当たり前といえば当たり前な話かも。
Johnny B Goode、Maybellene、Too Much Monkey Business、Roll Over Beethovenとかやってゆくんですが、結局のトコロ、どれもこれも似た曲ばかりなんですよね。
サスガに飽きてきてくるわけです(当時15歳ですから、ごめんなさいごめんなさい)。

(Johnny B Goode 1958年1月6日録音)

(Too Much Monkey Business 1956年4月16日録音)

(おまけ Louis Jordan & His Tympany Five – Aint That Just Like A Woman 1946年1月23日録音。チャック・ベリーのロックンロールがこの曲にインスパイアされたことは明らか)

そして…終盤だったと思いますが、ステージに「ロックン・ロール族」みたいな連中が出てきて、バックで踊りはじめたんです。
いい年(40歳越え)こいたおっちゃんやおばちゃんがフリフリの服とか皮ジャンを着て....

「なーんだ、単なる懐メロショウか」。
まあ、そんな事を思ったわけです。ほらよくNHKとかで「懐かしの流行歌」みたいな番組やっていたじゃないですか、それに近いものを感じちゃったわけですね。高額なチケット(4000円ぐらいだったかな)を払った私は、後悔しながら帰ってきたのです(当時15歳ですからごめんなさいごめんなさい)。

今になって振り返ってみるとわかります。
1981年当時、チャック・ベリーは単なる「ノスタルジア」の世界にいたのです。"黒人音楽のR&Bから派生した「ロックン・ロール」という新しい音楽のオリジネーター"とかそういう小難しい事じゃなくて「懐メロ」なんです。まだまだ歴史的に評価されて、リスナーが彼の音楽にそれを求める時代ではなかったようです。

「そこにチャックがいて、そこでチャックが歌っていればいい」
「懐かしのオールディーズ」。

仕事帰りのサラリーマンのおじさんたち(もちろん今の自分より若いはずです)のそういった感覚とちょっと違うものを自分は求めていたのでしょう。
何か別のもの....かといって小難しいことまではわからないのだけど...つまりはいちロック・ミュージシャンとしてのチャックを見たかったのだと思います。
そして自分はそういうおじさんたちの心の機微を感じるにはまだ青二才だったということです。

今になってあのおじさんたちの気持ちがよくわかります。
数年前のポール・マッカートニーなんて「見れただけでラッキー」と思いましたから(今年はもういいです)。

一方で15歳の自分がおじさん世代の「ノスタルジア」に反発した感覚も忘れてはいけません。
あの頃の自分は「振り返る事は年寄りのすることだ」ぐらいに思っていたし、その感覚を今でも愛しいと思っています。

あの時から36年、まさか現代まで彼が生き続けるとは思いもしませんでしたが、残念なことにそれも18日で終わってしまいました

15歳の私は「70越えのロックミュージシャン」が続出する時代が来るなんて想像もできなかった。
自分がこんなオッサンになるとも思わなかった。
ましてや知っているミュージシャンが亡くなる度に、ノスタルジックに想い出を語ることもです。

もし、当時の自分に再会し「そんなにノスタルジアに浸るな!」って怒られたら、筋違いの言葉でこう切り返すでしょう。

「いやぁ~悪い悪い。でもね、お前だって『ららぽーと船橋』で、松田聖子の出待ちをしていたことがあったろ?」

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