我々が仕入れているのは「バナナ」ではない。「技術」だ
朝日新聞7月10日付ニュースには「JASRAC会長、音楽を「バナナ」に例え教室批判」とあった。
JASRACの会長が音楽教室を「バナナの叩き売り」や「ガマの油売り」にたとえ....つまりは「音楽」を「バナナ」や「ガマの油」にたとえ....「バナナ(油)を仕入れたからには対価を払わなくてはならない」と記者会見で述べたというのだ。
記事タイトルからは朝日新聞特有の「揶揄」を感じなくもない。
大切なのは今回の会長発言で根本的に音楽教室の音楽利用についてJASRACが勘違いしているか詭弁を使っている事が明確となったことではないだろうか。ぜひ会長様におかせられては、同様の意見陳述を法廷でもして欲しいものである。
私も音楽教室(ボーカル教室)を経営する立場にあるから、ここは明確に申し上げられる。
本質論から申せば、私どもが仕入れて販売しているものはない。
あえてあるとすれば、それは「音楽」ではなく「技術」であり、その外見的な形として「教育」がある。
さて、講師たちは様々な形で...音楽教室であったり、専門学校であったり、音楽大学であったり....で自己投資を行ってきた。
私は彼女たちの技術と人柄と将来性を評価し、採用してきた。
当然レッスンができる環境が必要だ。教室として運営できる場所を賃貸し、防音スタジオに多額の設備投資をする。
そしてその「技術」の対価として生徒さんからレッスン料を頂戴し、その中からスタッフたちの労働の対価として給料を支払っている。
どんな音楽教室であろうと、この流れは一緒だ。
「その音楽を上手に相手に伝えるための技術」を売っているのである。
別に音楽そのものを売っているわけではない。「音楽教室」という形で教育を行っているのだ。
さらに申せば、日本の公的機関が行いきれていない「音楽教育」の一翼を担っているのだ。
「音楽を仕入れて売っている」....何を言っているのだ。
音楽教室において教育を通して音楽を使用していることの現状とは、およそかけ離れた認識を会長はされているようだ。
もしそれが勘違いであれば、JASRACの主張は根本的に揺らぐものであるし、もし詭弁だとしたら....音楽教室を欺いていると言えるのではないだろうか。
さらに申せば日本の音楽著作権を守るJASRACの会長ともあろう方が、音楽を「バナナ」「油」に喩えるというのは、我々のように音楽に対して敬意を持つものからすると、信じられない発言でもある。
(音楽が「バナナのやつ」で認識されるのは、こういう場合のみ)
話は重複するが、こうした流れを研鑽を重ねてきたスタッフたちの立場で考えてみよう。
子供の頃からピアノ教室に通っていた人、児童劇団に通っていた人、声楽の先生に師事してきた人....音楽を学んできた環境はまちまちであるが、ある人は音大に進み、ある人は専門学校で学び、ある人は私の学校で研鑽を重ね、その自己投資の結果としてここで働くに至っている。
スタッフたちは別に音楽を仕入れて売っているのでない。人生で培ってきた自己投資、自分の技術を磨いた結果を社会に評価され、ここで勤務しているのである。
彼女たちの研鑽はそれだけにとどまらない。レッスンの空いた時間に勉強会をやったり(もちろんその時間の人件費も私は支給している。というか私の会社の講師はほとんどが正社員)、そうして得た労働の対価を使ってさらに仕事への自己投資を行っている者もいる。また会社で研修費用を出して新たな技術も学んでいるスタッフもいる。
これは生徒さんも同様だ。
ご自分が「この歌を上手くなりたい!」と思い、その音源を持って来られる。
ちなみに私どもから「この曲を歌いない」ということはアドバイスを頼まれない限りない。
そしてレッスンを受け、上達して人前で歌う。そこで生徒さんが得た利益は「技術」である。
CD屋さんでCDを買うというのでもなければiTunesでダウンロードしたというのでもなく、その技術こそがレッスン料を支払った「対価」に他ならない。
私は現在、音楽教室の社長だが、過去にはCDショップに勤務していたこともあるし、食品メーカーに勤務していた事もある。
CDショップではCDを仕入れて販売し、食品メーカーは原料を仕入れて加工し、それを販売している。
JASRAC会長の申す「音楽を仕入れて売る」という言い方に最も近いのはCDショップであることになるわけだが、それを音楽教室に適合させるというのは、音楽教室の運営の形態や実態...教室独自の技術を販売しているとか、講師に人件費や様々な形で投資をしてその技術を販売している....とはおよそかけ離れたものである事は明白である。ここに彼らの論拠の弱さがあるように思えてならない。
私はJASRACに問いたい。
私たちは音楽を「バナナ」や「油」にような道具にたとえるような事は考えた事がありません。
音楽に敬意を払い、こうして音楽の世界で食べて行ける事に感謝をしています。
「食べる」と言っても豪勢に腹いっぱい食べられるという事は決してありませんが。
でも、そこには素敵な「技術」を生徒さんに与えているのだという自信があり、日々それを誇りに思いながら生きているのです。
あなたたちにとって音楽とは一体何なのでしょう?
まさか「道具」ではないでしょうね?
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