反応
某所からは指示もアドバイスもないんで、WHOの警戒レベルがフェーズが6になるか、首都圏で感染が始まったら行おうと考えていたのがコレ。
過剰反応じゃないつもりだけど、過小反応でもないと思う。
ブタの画像はPYGという伝説のバンドのジャケットです。
インフルエンザに対する反応が、他国以上に過剰だと言われている。他国の反応を見たわけじゃないから何とも言えないけど、海の向こうからやってきた未知のSomethingに対する反応が過剰だとすれば、それはこの国が島国であることによる正常な反応だと思う。
「アメリカではマスクしている人はいない」といった単純な海外との比較で語ることは、砂漠の住民と水の豊富な地域の住民、あるいは山岳地帯の住民と海洋地域の住民とを同一尺度で論ずるのと一緒だろう。
外来からの未知のSomethingに対してナーバスになる。なるからこそ鎖国政策を行った。その功罪はともかくとして、黒船が来るまでの300年間は、少なくとも平和で安泰な時代だった。あんな時代は世界でも稀だったはずだ。
僕はそんな島国国家が好きだ。
ディスカッション
コメント一覧
平和で安泰が一番ですけどね~
同じ島国ですがとりあえず今年のBEATLESウィークが
遂行されるかされないか・・それが心配です(^^;)
よかった!
「日本って騒ぎすぎじゃね?」「マスクしてるのなんて日本人だけだって!」とニッポン否定派が声を大にしている中で「じゃあ、カオスにならずに済んでいるのは何故だと思う?」と堂々と言えずにいたので、オーナーのブログを読んで胸がすく思いでした。
発症者の機内での座席や帰宅ルート、学校名や自宅付近のことまで詳細に報道しているのは「そんなゴシップ趣味はいらん。」と思うけれども、自衛の策や拡大を抑止するための策までもごっちゃにしてバカにしたらいけないと感じていました。
話がずれるんですが、花粉の時期に友達がカナダから来てる留学生に会わせてくれるとのことで一緒に遊んだんですけど、そのときに「ナンデニホンジン、マスクスルンデスカ?」って問われて困りました(笑)
早くインフルエンザ落ちついてほしいです。
>wtbtai(^^)
おそらく大丈夫でしょう!
300年続いた安泰は、明治になって80年で一回所帯潰しちゃったわけですが、おかげでBeatles Weekも楽しめるわけですから何が何やらという感じです。
>ぽちこさん
言っちゃったかもしれませんね(笑)。
異国のものに恐れおののくけど、一方でいい物は呆れるほどの憧憬を持って積極的に取り込んでゆく。このバランス感覚が凄いと思うのです。単純な比較論じゃはかれませんよ。ただおっしゃるとおりでマスメディアが大騒ぎしすぎだとは思います。「マスクが売り切れ」を煽るばかりではなく対策をきちんと報道して欲しいですね。
>あいむ
こう説明しましょう。
「昔、アメリカと戦争する際に材料が不足したのと、空襲のおかげで家屋の材料が不足したんで、育てやすい杉の木をガンガン植えたらこうなりました」と。
日本は日本のやり方でいいと思います。
世界は世界、日本は日本。
島国であるがゆえ情報量や比較対象が少なく盲目的になりやすいという弱点は、国際化社会でインターネットが発達した現代でも解消しきれていません。
その弱点からか、よく短絡的に「アメリカでは・・・であるから日本もそうすべきである」という発言がされるのが気に入りません。
これは日本人の海外コンプレックスのように感じます。
いつから日本人は海外コンプレックスを持ち出したのでしょう?少なくとも江戸時代までは持っていなかったはずです。幕末開国時?第二次世界大戦終戦時?に閉鎖的で盲目的な考えを打ちのめされた時でしょうか?
正直、僕個人的には「アメリカでは・・・だから何なの?」っていつも思います。
では、日本の弱点を補うにはどうすればよいか?
アメリカはあまりに日本とは違う国だし、両国の利害の関係上これからも真のパートナーになる事は無いため、アメリカを世界と比較する際の基準のメインにするのはそろそろやめた方がいい。一つの基準にはなるけど真の基準にはなり得ない。
アメリカの失墜、日本の熟成、国際化社会を考えるとアメリカから自立していく良い時期に差し掛かっていると思います。
そして日本が世界に対して日本独自の観点をもっと発信していく時代になっていくべきだと思います。
ぼくは距離と生活文化が近い東南アジアに注目しています。
東南アジアの国々ともっと協力し合って真のパートナーとなり、東南アジアの国々との比較をメインに考え、その上でアメリカやヨーロッパ諸国等も参考にすると、いままでにないくらい「世界の中の日本」が見えてきて、日本が進むべき道が見えてくるのではないかと思います。
>タケシ君
長文のコメントありがとう。
おっしゃる通りで、世界の中でのアジアの地位というものは、今後相対的に大きなものになってゆくと思います。そうした中で、アジアの極東の一国として、今以上に深く関わってゆく、あるいは関わってゆかざるを得ないことは、論議するまでもないでしょう。そのいっぽうでアメリカや西洋のパワーがとりわけ経済面では20世紀ほどではないにせよ、音楽ひとつとっても学ぶべき部分、今後も影響を受けであろう部分は多いと思います。
あっそうそう「東南アジア」というキーワードが出てきましたが広く「アジア」というくくりでもいいのではというところから、このメントを書いています。東南アジアのみならず、韓国とか中国の文化や思想なども、大変参考になるもので、歴史的にみればこの国が成立する過程では切っても切れない関係にあるものですから。
さて、僕は京都に住んでいたことがありましたが、「アジア文化と西洋文化の交差点」というのは、まさに京都であると思っていました。双方の文化のいいところを共存させるバランス感覚では、おそらく日本人の中でも格別に鋭いものを持っています。たとえばあまり知られていないことですが、祇園祭で出てくる山車のことを「鉾(ほこ)」といいますが、いくつかの鉾では、昔からこんな西洋のタペストリーを飾っているのです。面白いでしょう。
http://www.koiyama.com/contents/tap.htm
大切なのは、アメリカや西洋にもいいところがあって、アジアにもいいところがある。いいものに関しては偏見なくしっかり受け入れてゆくということではないでしょうか。
いま「偏見」という言葉が出てきましたが、ここにはむろん自国に対する劣等感のようなものもあると思います。「アメリカ人はマスクなどしていない」という言葉の裏には、自国民に対する妙な劣等感=コンプレックスがあるのはご指摘のとおりだと思います。そういう劣等感から始まる比較論ほど、根拠のないものはないということ、タケシ君と全く同意見です。
よく考えてみると、安土桃山時代以前は、はっきりとアジアへベクトルを向けていた時代もあったのです。西洋の文化の流入が激しくなるにつれて、このままだと歯止めがきかなくなると為政者が恐れたところから鎖国が始まりました。むろんその間も細々とではありますが、西洋の文化は流入を続けてはいましたが....その期間があまりにも長すぎたため、いつの間にか世界の流れと大きくブレが生じたところ....それに対する危機感が、今度は明治維新とその後の急激な近代国家への変貌を遂げさせたわけです。その変貌がはなはだしくなったところで修正軌道に乗るという流れとして第二の鎖国....という言い方はヘンかもしれませんが、西洋への精神的鎖国を行った行為が太平洋戦争ではなかったかと思います。