台風直下の四万十川と沈下橋
高知市内からレンタカーで「日本最後の清流」四万十川へと向かったのは9月17日早朝のこと。
この日の行き先は松山。四万十町から宇和島と内子を経由するというもの。
今まさに台風16号が九州を南北へと抜けようとする絶妙なタイミングで暴風警戒域に突っ込んでゆくことになった。
ハタからみればこの天候下でよくやるよと思うだろうけど、ここの家では「よくあること」の部類なのだから仕方がない。そんなことは屁でもないと思っている父と母、その下で育った僕にとっては、34年ぶりの親子旅行の一コマに過ぎなかった。
それにしても清流の四万十川を見に来たというのに、この天気では「清流」なんて高貴な風景は期待できるはずもない。高知自動車道と国道56号で四万十町へ入り、窪川という町から国道381号へと入ったら、四万十川は濁流が渦巻いて川幅すべてを覆い尽くす暴れ川と化していた。
先ほどから雨足は強くなる一方だが、国道381号は四万十川に沿った国道で、道幅も広くとられておりカーブもゆるやかだ。父と運転を交代して自分は撮影する側に回ることにする。
そんな中でお遍路さんを見かけた。
先ほども56号の七子峠付近でお遍路さんを見かけたからこれで2人目。風雨に打たれながら自分の脚を頼りに四国八十八箇所を巡拝する人たちは想像を絶する苦行を自分に課している。
父がこんな話をしてくれた。父の友人にも同じように四国八十八箇所巡りをした人がいるらしい。きっかけは奥さんの死だった。彼は小さなペンダント大の骨壺に長年連れ添った伴侶のお骨を入れて旅に出ることにした。
「用意したお骨が全部ペンダントに入りきれなくてね。そいつどうしたと思う?」
「どうしたの?」
「余った分を食べちゃったらしいよ」と大笑いする父。
いやそこ笑うとこじゃないだろうと思いつつ、父が笑い飛ばすしかない年齢になってしまったことを切に感じた。
ふと見ると橋が見えてきた。上宮(じょうぐう)沈下橋というやつらしい。
「沈下橋」っていうのは、川が増水した際には水没する橋のこと。橋の上に欄干などを設けないことで増水しても橋そのものが流されにくいように作られている。
むろん沈下した場合は交通は寸断されてしまうわけだけど、橋が流されてしまうよりはマシだ。
自然にあえて抗うのではなく自然を許容した上でそれに合わせて橋を作る。
とても日本人的な発想ではないだろうか。
話は飛躍するかもしれないけど、震災と津波と原発の問題を考える時に、この自然との適度な付き合い方というものが、何かヒントになってはいまいか?そんなことを考えた。
そうこうしているうちに、また沈下橋が見えてきた。
看板には向山橋(上岡沈下橋)とある。
車を停めてもらい、豪雨の中を飛び出してビデオカメラで撮影した。
これは怖い。濁流が橋の上部を洗い流している。
一見洗い流す水の量はさほどでもないように見える。何とか渡れそうにも思える。だけどあそこにはとんでもない水圧がかかっているに違いない。足をすくわれたら最後、二度と太陽を拝むことはできないだろう。
この恐怖感、どこかで体験したことがあるなと思い出したのは4歳の夏(1970年)の記憶。
大阪で万博を楽しんだ後、岡山の親戚の家で台風9号(号数だって覚えている)の直撃を受けた。僕は雨戸を締め切った部屋にいて蚊帳の中にいた。戸外では風雨の轟音が鳴り響いていた。翌日、みんなで川が増水しているのを見に行った。どうも井原市の小田川だったらしい。生まれてこのかた(といってもたかだか4年だったわけだけど)見たこともない濁流の光景はいまだに脳裏に焼き付いている。それを思い出した。
四万十川の清流が見れなかったのは残念だけど、考えてみれば濁流に洗い流されている沈下橋を見れる方がよっぽど貴重な体験だ(この映像も貴重かもしれない)。
それに...あまり認めたくはないけど自分はこういう光景を見る運命にあるような気もする。
清流を見たければまた四国に行けばいい話だ。そこからまた旅が生まれてゆく。
最後に...これもまたさらに下流で見た光景。
すでに沈下した橋のたもとに農作業用の軽自動車で乗り付けて、おじさんが釣りをしていた。
このおじさんもまた、自然との適度な付き合い方を知っているのだろう。
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