スカイツリーから焼け跡がみえた
土曜日は有志でスカイツリーに行ってきた。
(電線とからむスカイツリー)
(スカイツリーを撮影する方々を撮影する)
建設している頃は、何度か通ってツリーを撮影していたのだけど、実は昇るのは初めて。たまたま生徒さんのYaggyが「すみだ水族館」の半額チケットを持っていて、それで「行こう!」ということになった次第。
「鬼のように並ぶらしい」とは聞いていたので、あらかじめ予約をしておいて、一気に上った。
うわ高い!
(Sim City)
ここから見下ろすとまるでSim Cityみたいだ。
ガスってはいるけど東京タワーだって見える。
まさか地上のある場所から東京タワーを見下ろせる時代がくるとは....
(東京タワー)
おまけに目をこらせば「東京鼠園」だって見える。
(東京鼠園)
ツリーの反対側に回ると、防災マニアのメッカ「都営白髭東アパート」だって見える。
全長1.2kmの「都民の防火壁」もこうやって見るとこじんまりとしてみえる。
再び南側へ行って足元の風景を眺めながら「この辺りはすべて焼けたんだよね~」と歴史的にモノゴトを考える。
「焼けた」っていうのはちょうど70年前の東京大空襲のこと。このスカイツリーの周辺はすべて焼野原となっているはずだ。
家に帰ってから空襲後に撮影された航空写真と照らし合わせてみようと、色々な角度からパシャパシャ撮影してみた。
1時間はいただろうか?その後水族館を見て、月島で「もんじゃ」と食べて、横浜へと戻った。
帰ってから調べてみたら、当時のよく似たアングルの写真があった。
(2015年)
(1945年)
一見、この両者の写真に共通性などないように見えるけど、画像の右上を拡大するとよくわかる。
(2015年、清洲橋と永代橋、さらに佃島方面)
(1945年、清洲橋と永代橋。そして佃島)
1945年の写真で手前に写っているのは横十軒川だろう。中央を左右に横切っている高架は総武本線で、線路沿いにある焼け残った建物は錦糸町駅だろう。
だとすればこの撮影地点は、スカイツリーより南東方向に300mぐらいの上空で、350mの展望デッキよりもやや低い高度で撮影されていると思われる。
「まさかね...」と思った。
スカイツリーをわざわざ押上に建設した理由って、色々とあるだろう。
そのひとつに「かつて空襲で壊滅した場所が、不死鳥のように蘇ったこと」をそれとなく空襲をしてくれた国に知らせるというメッセージがあったら凄すぎる、と思った。
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