ぐらもくらぶ祭りと首都高の歩行者
今日一日で起こった事、いったいどこから話したらいいのやらという感じです。
まず首都高湾岸線上りを走行中のことでした。
対向車線は物凄い工事渋滞でして3車線のうち2車線を規制していました。大がかりな道路工事と一車線を延々と続く車の列はなかなかダイナミックです。それでドライブレコーダーの緊急録画ボタンを押したんです。珍しい車窓風景は録画する癖があります。
そうしたら東扇島IC手前で仰天するような光景が目に入ってきました。
路側帯を横浜方面に向かって自転車を押しながら歩いている歩行者がいたのです。私には60代~70代の男性の老人に見えました。よれよれの黒い服を着て、自転車を押しながら歩いています。ドラレコ映像では一瞬ですが、私の視界ではもっと長く見れたように思います。
あわてて110番をしました。ほら、首都高緊急ダイヤルってあるじゃないですか。#9910なんですが、そんなの覚えていない。とりあえず110番通報をしたのです。
大井南SAでトイレ休憩の後、先ほどのドラレコ動画を確認しました。僕のドラレコはKenwoodのKNA-DR300。緊急録画時は3分の動画を録画するのです。運よく2:30ぐらいからそれが記録されていました。ノーマル録画だと該当箇所を探すのは死ぬほど大変ですから、それだけだったらTweetしなかったでしょう。たまたま「記録魔」だったのが幸いでした。
画面が小さいからよくわからないけどたしかに歩行者が写っています。僕のレコーダーにはWi-Fi転送機能なんてついていないので、そのドラレコ画面をスマホで動画撮影するという古典的な方法でTweetしたのです。
撮影した動画には私が驚く声も記録されてしまいました(いい発声です)。
この日のイベントにはまだ余裕がありました。
深川の萬年橋の美しさに惹かれ、30年ぶりに芭蕉記念館にも寄ってみました。松尾芭蕉って江戸時代のシンガーソングライターだと思っているんです。
そして今日のメインイベントは江戸東京博物館小ホールで開催された「復活 ぐらもくらぶ祭り」です。
自分はいまだに好きな音楽のベクトルが定まらない人間なのですが、好きなジャンルのひとつに「戦前の音楽」というのがあります。
小学生の頃ですが、夏休みのグループ研究で友達の「さかもとくん」の家へ行ったら「懐かしの戦前流行歌」みたいなレコードがあったんです。10枚組みたいなやつ。当時からオカシな小学生だった僕は、それを聞かせてもらっているウチに「紀元二千六百年」にハマってしまった。それが原点です。
特に我々の世代がそうだと思うのですが「戦前は軍歌とTVでやるような懐メロだらけ」という先入観があるわけです。実はそうではないというのに気づいてくと、俄然面白い音楽が溢れていた時代なんだという発見の連続なんです。
大正時代の終わりに日本にジャズが入ってきて以降、終戦までの20数年間は、日本人の音楽好きな国民性、容赦ない模倣力の高さがこれほど爆発した時代はないんじゃないかと思っています。またそうした国民性が今の自分の仕事への根拠のない確信にもつながっています。
そんな中で、戦前の和製ジャズを中心とした音楽評論家の保利 透さんと毛利眞人さん企画のこのイベントでした。このお二人は重箱の隅を突っつくかのような「戦前音楽」「戦前和製ジャズ」の素晴らしい伝道師なんです。
弁士による活動写真、戦前ジャズのスリリングなトーク、そして昭和歌謡バンド「泊(とまり)」のライブが同時に楽しめるという3倍美味しく、ついでに秘密結社性も高いイベントの始まりです。
周防正行監督による映画「カツベン!」が冬に公開されますが、そのタイミングでの弁士の坂本頼光さんと片岡一郎さんによる映画上映が第一部でした。「どこから引っ張ってきたんだよ!」とツッコミたくなるようなアレな戦前の短編映画(南旺の納税啓発映画、こども時代劇、インディーズ時代劇 e.t.c.)数本の上映会でした。お二人の「弁士解説」も大爆笑でしたよ。
二部前の休憩にふとtwitterをみるとTBSさんと日テレさんからDMが入っていました。「先ほどの動画の詳細を教えて欲しい」とのことでした。ざっくり内容をお返事をして「動画は自由にお使い下さい」と申し上げました。
あおり運転なんてやるバカがいるこの社会で「高速道路を歩いている人がいるかもしれない運転」は大事ですから。
第二部は、ジャズ評論では「巨人」と言っていい瀬川 昌久さんと毛利さんのトーク。これも戦前の映画でジャズ演奏&歌唱シーン(主にPCL系)を紹介しつつトークをすすめてゆくわけですが、その音楽映像の洗練されたつくりには脳天をぶん殴られるぐらいの衝撃を受けました。
昭和20年代かと思うような洒落たデザインのセットの中(あるいは野外)で、中野忠晴、リキー宮川、櫻井潔とその楽団、ミルクボーイズが動く踊る!戦前の日本でこんな映像が記録されていたんですね。
瀬川さんが戦前のミュージカルシーンを集めた「(日本の)ザッツ・エンタテイメントのような映像作品を残したい」とおっしゃってましたが、激しくそれを思いました。
第三部は昭和歌謡バンド「泊(とまり)」によるライブ。
そして保利透さん、「泊」の山田参助さん、そしてゲストのMBS福島暢啓アナウンサーによるトークという構成でした。実は福島アナも3曲を歌うというサプライズがありまして、実にお上手でした。聞き取りやすいのはさすがアナウンサーですね。
参助さんも福島アナも昭和歌謡の発声、このお二人は本当にそういう音が好きなんだってことが伝わってきました。
さて、三部で保利さんが東海林太郎「漂泊の唄」を評して「この曲、マンドリンが全面に出ていて昭和12年の作品にしては古臭いですね」と言われました。この言葉が今回のイベントのすべてを言い表しているように思いました。
それは「古い新しい」だけで音楽を聴いたり選んだりするのではなく、いつでも音楽を音楽として捉えているからこそ言える言葉だと思ったのです。
イベント終了後、僕にはもうひとつ行く場所がありました。
会場すぐそばにある横網町公園の東京都慰霊堂です。いや「陸軍被服廠跡」と言った方が自分的にはすんなりきます。
今日9月1日は関東大震災の起きた日です。ちょうど96年前、この被服廠跡に避難した人たちに火災旋風が襲い掛かりました。そして三万八千人が亡くなったのです。慰霊堂には震災と東京大空襲の犠牲者の遺骨が安置されています。
普段は閑散とした公園なんですが、今日は違っていました。遅くまでお堂を開いているようですし、参列者が次から次へと訪れています。清澄通には夜店まで並んでいます。
この光景を見ていると、96年も前の出来事でも地元の方にとっては「今につながる過去」なんだなぁと思えてなりませんでした。そう、今日のテーマは「今につながる過去を知る」ってことだったのかもしれません。
あとでTBSさんからまたDMが来ていました。「Twitterにアップされた動画を夕方のニュースで使わせて頂きました。引き続き元動画ファイルも送って頂けると幸いです」。そして日テレさんからは電話で取材を受けました。
自分の驚く声がテレビで流れたんでしょうかねぇ。
誰かご覧になった方いたら教えて下さい。
そうそう。後で110番に確認したら、この方無事に保護されたそうです。
よかったです。
追記:この日のTBSの夕方のニュース「自転車を押して男性が首都高湾岸線を“逆走”」でUPされていたことを知人から教えて頂きました。元の汚い画像をよくトリミングしているなぁとプロの腕に驚きました。映像を記録するというのは自分の仕事のひとつでもあるので、こんな映像でもオンエアされるのちょっと嬉しいです。
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