風街のスカイツリー

吾妻橋のライブカフェ「A’z」で行われるヌッキー竜ちゃんの「長渕剛1983 Super Live In 西武球場 再現Live」には、まだ時間があった。
そこでと近くの東京スカイツリーに行ってみた。

定番スポットは読売新聞スカイツリー前分室付近。
現時点で最も近場でスカイツリーを見物できるポイントではないかと思う。

日中はご覧のように大勢の見物客が集まっている。すでに見物客相手の御土産物屋も並んでいたりする。

絶好のビューポイントがあるのをTVで見たのを思い出したので探してみる。簡単にそこは見つかった。

スカイツリーより南東へ300m。十間橋という橋からだと、こんな風に見える。あいにくの曇り空なのと、カメラの腕がヘタクソなのが悔やまれる。

水面に写るスカイツリーっていうのも、なかなかよい。

こうやって街中からスカイツリーを撮影していて感じたことがある。
スカイツリーが完成することで、この近辺の街の風景は大きく変貌してゆくのだろう。実際にどの程度の地元へ経済効果があるかは疑問だけど、デベロッパーによってマンションやビルの建設ラッシュとなるに違いない。だから今の街並みをカメラに残しておこうと考えた。

込み入った露地の向こうにスカイツリーが見える。はっぴいえんど時代の松本隆は東京オリンピック以前の失われてしまった東京の風景をイメージした「風街」という架空の街を作り上げた。その「風街」の風景って、こういうものだったんじゃないだろうか?

西十間橋付近を走行中にこの「空家」を見つける。あわてて車を止めて、撮影に走る。

このあたりは東京大空襲で壊滅した場所だから、おそらく昭和20年代に建てられたものだと思う。

なかなか写真を斜めに撮影するという発想がなくて、喉が撮影した斜めのアングルがカッコ良かったので、真似して撮影してみた。

昔、これと煮たような外観のアパートに潜入したことがある。ちょうど5歳か6歳の頃だから、昭和45年か46年の話だ。
武蔵小杉の我が家のすぐそばに、2階建ての木造アパートがあった。ちょうど外観もこんな感じだった。すでに取り壊す予定で空き家になっていたのを、近所の中学校の兄ちゃんたちに連れられて「探検」したのだ。場所も覚えている。ここだ。今の名称はNECの社宅のようだから、あるいは当時はNECの工場の付属の社員寮だったのかもしれない。
ちょうどこの社宅が建設中で、入れ違いに古いアパートが順次取り壊されてゆく最中だったと記憶している。長い廊下があってゴミが散乱していたのが今でも忘れられない。そうしているうちに工事現場のおじさんに見つかって、怒られて逃げ出したのも覚えている。こういう場所に平気で入れるような呑気な時代だったことは確かだ。

近々取り壊される予定なのだろうか?すでに玄関にはビニールシートが張られていたり、トタン板が打ち付けられており、人が住んでいる気配はない。
ビニールシートの隙間からチラッと見える玄関には、ゴミがうずたかく累積していた。

工事現場への侵入といえば、ヌッキー竜ちゃんと、それを考えたことがある。キャピトル東急ホテル(旧ホテルヒルトン)が取り壊される際のことだ。ここはビートルズが昭和41年に来日した際に宿泊したホテルで、ビートルズが記者会見を行った「真珠の間」の彼らの背後にあった壁の残骸が欲しかったのだ。
「スーツ姿で"安全第一"のヘルメットをして"お疲れ様です!"かなんか言って入っていったらバレないんじゃないか?」なんて真剣に計画を考えたものだ。
ただ、残念なことに二人とも、こういう場所に平気で入れるような呑気な性格ではなかった。「不法侵入」「窃盗」などという言葉が頭に浮かんだ。結局のところ、東急ホテルに電話をかけてお願いしたところ、「詳しい計画は不明ですが、新しく作られる複合ビル内に一部を移築して保存しようという話もあります」という話だったので、イイ年のオトナとして諦めることにした。

そんなヌッキー竜ちゃんのライブが始まったのは、18時からだった。

今回はラージ飯島(key)、ナンちゃん(Eg)という編成。
実は今年からこのBlogで「ライブレポをあまり書かない」という方針にしていた。実際のところもう何件も書いていない。「ライブレポを書くためにライブに行っているんじゃなくて、ライブを楽しみに行くためにライブに行っているのだ」ということを自分の気持ちとして徹底したかったからだ。

でもこれだけは書きたい。
ナガブチの物真似ならばいくらでもいる。だけど自分の経験や音楽キャリアを生かして自分なりのナガブチをきちんと表現できるからこそ、リュウちゃんは凄いのだ。