野良猫まみ子の一生

我が家の裏にある物置、その床下で野良猫の「まみ子」が3匹の子供を産んだのは2003年の5月のことだった。

最初にそれに気付いたのは娘たちだった。「気付いた」というよりは、たまたま通りかかったら、いきなり「まみ子」から威嚇されて「気付かされた」というのが正解だったろう。なお母猫に「まみ子」というあだ名をつけたのはカミさんだ。「母=マミー」からつけたらしい。

ほどなくして周辺の草むらを雑草に埋もれながら遊ぶ子供たちの姿が確認できるようになった。これを娘たちが見て「かわいいかわいい」と言い出した。こうなるともはや観念するしかない。我々は何とかこの猫どもを保護する方向で動き出した。まずは、まみ子のために庭に餌を用意した。間もなくすると、真夜中にまみ子が子供たちとこっそり食べる姿が見られるようになった。どうも子供たちも離乳が進んでいるようだった。
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猫たちは次第に図々しくなっていった。裏から表庭のテラスへと行き来するようになり、しまいにはテラスで暮らすようになった。

窓越しにはっきりと観察できるようになると、猫たちは面白いほどさまざまな性格を持っていることがわかった。

まみ子は生粋の野良猫だった。目つきは悪く性格は凶暴だった。過去によほど人間からひどい目にあったのだろう。絶対に人間を信用しなかった。近づく我々を威嚇し、時にはその鋭い爪で「猫パンチ」を繰り出してきた。いっぽうで餌をくれにゃんと要求だけしてくる。自己中心的で自分勝手という、一般的な猫の性格を絵に描いたようなヤツだった。
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子供たちのうち、茶色がかったシマ猫は、のちに「茶」から転じて「チャコ」と呼ばれるようになった。コイツは好奇心旺盛な猫だった。いつもそのヘンに転がっているものとじゃれあっていた。母親の尻尾にじゃれて、母親に怒られたこともある。何も考えていなくて、あまり人見知りをしない彼は、3匹の中では最初に我々になついた猫だった。

足だけが白い猫は、のちに「白」から転じて「シーちゃん」と呼ばれるようになった。彼女は一番の美人猫だったが、ツンとすました猫で、愛想のない猫だった。

黒みがかったシマ猫は、のちに「黒」から転じて「クーちゃん」と呼ばれるようになった。こいつは小心もので、人間と目が合っただけで真っ先に逃げ出そうとした。また甘えん坊でいつも母親にベッタリくっついていた。後年になって性格が豹変し、自分のテリトリーに侵入した猫をどこまでも追い詰めて追い払う猫となった。

8月になると、子供たちは自由に行動するようになった。どうも子離れ親離れが進んでいるようだった。そのタイミングでお隣の家と共同でまみ子の避妊手術をしようという話になった。実はまみ子は前年にもお隣の家の軒下で子供を産んでおり、唯一生きのびた「いっちゃん」がお隣の居候猫となっていた。僕の家とお隣とは、かねてより共同で野良猫を何とか管理してゆこうと考えていた。いたずらに出産を続けさせることは、いたずらに野良猫を増やすことになりかねない。このあたりでそれに歯止めをかけようと考えたのだ。

ペットクリニックから猫用の「檻」を借りてきて、昼ごろに餌を仕掛けた。餌にふれると留め金が外れてバタンと扉が閉まる仕掛けになっていた。最初にこの檻にかかったのは、予想通り何も考えていない「チャコ」だった。用心深いまみ子が檻に入ったのは夕刻になってからだった。
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手術のせいもあったのかもしれない。
秋が来るとまみ子は突然子供を置いて出奔した。
3匹の子供たちが我が家に残された。
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3匹は当初テラスで暮らしていた。この時期、かつて長女に買い与えた動く犬のおもちゃ....といってもSONYのAIBOではなく....イワヤ玩具の「子犬のドン」に猫どもがどう反応するか実験したことがある。

最初は警戒していた猫たちだったが.....
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やはり最初に猫パンチを繰り出したのはチャコだった。
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子猫たちは、やがて家の中へ出入りするようになった。避妊去勢手術は早いうちにした方がいいということで、その年の冬までに3匹にそれを行った。

1年もたつと、各自が自分のテリトリーというものを意識しはじめた。そのあたりの猫の気持ちというのはさっぱりわからないのだが、それぞれが別々の場所で暮らすことを意識しはじめた。シーちゃんは次第にお隣に移動するようになり、いつしかお隣で暮らすようになった。

そして2匹が残った。
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チャコには放浪癖があった。10日も不在にしているかと思ったら突然「にゃおん」と甘えた声で帰ってきた。そんな生活を1年半ほど続けていたある日、彼は完全に行方不明となった。人なつっこい猫ゆえ、もしかしたらどこかで飼われているかもしれない。

そして、残されたクーちゃんだけが、我が家の居候猫となった。
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いっぽう、まみ子はといえば、近くの公園で数匹の猫と集団生活をしているのを確認できた。この地域はなぜか猫好きな人が多く、そういう人たちがたまに餌をあげているようだ。

それから5年が経過した。まみ子が、再び頻繁に我が家のテラスを訪れるようになったのは、今年の初夏の頃だった。
このとき、彼女がいちじるしく老化しているのがわかった。
娘たちは「もう歯が抜けているのではないか」と言う。
「猫の歯が抜けているかどうかなんて、どうやってわかるんだ?」と尋ねると、
「よくわからないけど、抜けているように見える」と言う。

仕方がないので、クーちゃんにもあげたことのない缶詰のキャットフードを彼女に食べさせることにした。以降テラスで家族と目が合うと、かすれた声で「にゃー」と言うようになった。むろん「あの美味しいキャットフードをくれ」という意思表示だ。
贅沢なことに、通常のドライ系キャットフードを出しても目もくれなかった。
「歯が抜けているというのは、本当なのかもしれない」
僕はそんな風に思った。

そんな風に美味しい食事を与えているにもかかわらず、一定の距離以上を近づこうとすると「はーっ」と我々を威嚇する。「猫パンチ」も繰り出してくる。
「お前、"にゃーっ"か"はーっ"かどっちかにしろ」
僕は彼女にそう言った。

「"まみ子"はどうしようもない」というのは僕とカミさんの共通した意見だった。根っからの野良猫だから絶対人間にはなつくことはありえなかった。屋内で飼うことは不可能に近かった。老化が進行している彼女のために、娘たちがテラスに段ボールで家を作った。
まみ子はそこで暮らすようになった。

クーちゃんはまみ子の存在を、嫌がるでもなく、かといって喜ぶでもなかった。猫の親子の関係というやつは実にドライで、一説によれば成人猫になると、親子という意識は全くなくなるらしい。クーちゃんもまみ子もお互いに「知り合いではあるけれど、あまり関心のない」そんな関係だった。
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しかし10月ごろ、僕は不思議な光景を見ている。ちょうどテラスでまみ子とクーちゃんが適当な距離をあけて座っていた。ためしに両者の間にキャットフードを置いてみた。
普通ならばサッと飛びつくまみ子が動こうとしない。そうしたら、クーちゃんがまみ子の方を向いて、「先に食べて」といわんばかりに「にゃあ」と言った。そうするとまみ子は先にキャットフードを食べだした。それをクーちゃんはじっと見ていた。
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11月になって急激に寒さが増した頃、まみ子が段ボールの中でよだれを流しっぱなしにしているのに子供たちが気付いた。インターネットで調べてみると、よだれを流している猫は内臓に疾患がある可能性があるらしい。かといってまみ子が医師の診察に応じるとも思えない。とりあえず段ボールごと屋内に収容したが、すぐに逃げ出そうとしたので、じょじょに慣れさせてゆこうと、屋内に入れたり出したりを繰り返すことにした。

そして数日後、まみ子は姿を消した。
猫は死ぬ前に「山へ帰る、主人の前から姿を消す」とよく言われるが、正確には誰も見ていないところで静かに療養をすることを好んでいるだけだという。そういう猫はそのまま死んでしまうことが多いため、そう思われているだけのようだ。

彼女が失踪してから一ヶ月がたった。
もう彼女が戻ってくる可能性は消えたように思う。

先日、クーちゃんに聞いてみた。
「お前、自分の母親がいなくなったこと、わかってんの?」
「にゃあ」
「わかってないだろう?」
「にゃあ」
わかっているんだか、わかっていないんだか、そこがよくわからなかった。

わからないから、とりあえず「野良猫まみ子の一生」というネコメンタリー...いや、ドキュメンタリーを作ってみた。

(管理人おわび:2013年9月頃、あやまってYoutubeアカウントを消してしまったため、すべての動画が消えてしまいました。「野良猫まみ子の一生」はオリジナル動画ファイルが手元にないため、記憶を元に再度編集するぐらいしか復元の方法はありません。頑張って挑戦してみます。なお、管理人の新しいチャンネルはこちらです。)


僕なりに、彼女へのはなむけにしたつもりだ。

おみおくり

Posted by spiduction66