祖母の大往生
今さっき、杉並の祖母の家から帰宅。
祖母は実に安らかな死顔をしていました。
4月中旬まではとても元気でした。
病床で「定額給付金を貰ったら、一度エステに行ってみたいわ」なんて言っていたそうです。
4月20日ごろから体調が悪化し、
点滴の作用もあって、こんこんと眠り続けるようになりました。
「もう目覚めることはありませんが、耳は聞こえています」
とお医者さんから言われたので、
「おばあちゃん、そっちへ行ったらだめですよ、そっちは彼岸ですよ」
と何度も呼びかけました。
それに反応してか、祖母は眉をひそめました。
長女は"ひいおばあちゃん"の手をずっとさすっていました。
心臓が強かった祖母は、それでも10日間頑張りましたが、
4月30日23時21分、眠るように亡くなりました。
享年95才、大往生でした。
「2.26事件当日の東京目黒の大雪の話」
「福山から井原へ引っ越した翌日が福山大空襲だった話」
「米騒動の話」が忘れられないものになりました。
ぎりぎり臨終に間に合わず、
最後を見届けられなかったことが悔やまれてなりません。
ディスカッション
コメント一覧
大往生ですね。
故人の御冥福をお祈りします。
合掌
大往生とわかってはいても別れはやっぱり寂しいものすね。
ご冥福をお祈りします。
これからは天高くから、ご親族の皆さんを守ってくださることでしょう。
暫くはお別れになりますが、あちらの世界に行った時、会いたい人には会えるのだと、丹波哲郎が映画「大霊界」で言っていた言葉を、私は信じています。
3つの時代を生き抜かれたおばあ様、万歳!!
寂しくなりますね。
>こさくくん
ありがとうございます。
激動の時代をこれだけの長生きできたのですから、本望だったと思います。
>マサトシさん
ありがとうございます。
体は弱りつつありましたが、ギリギリまで元気でした。
3月には湯河原に旅行に行っていたぐらいですから。
唐突な喪失感が大きいです。
>himkoさん
ありがとうございます。
あの世でも祖父と楽しく暮らすことを、僕も祈っています。
祖父と腕を組んで歩くという、当時の人としては珍しい夫婦だったそうです。
>匿名
ありがとう。
明治45年生まれの家内の祖母がまだ健在なので、なおいっそうのおばあちゃん孝行をしたいと思います。