劇場版「鬼滅の刃-無限列車に乗った話

(以下、ネタバレにならないように書きます)

最後に映画館で映画を観たのはいつだったかな。
新宿の映画館をハシゴして「築地ワンダーランド」と「この世界の片隅に」を観たのが最後だから、多分4年前の今頃だったと思います。

鬼滅の刃

そんな人間が封切りの翌日に『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』を観に行ったというのは異常事態でした。
これは「新型コロナウィルスの経済効果」だと思っています。あくまでも私個人の例なのですが....

  1. 新型コロナウイルスが蔓延した
  2. カミさんも私も在宅ワークが増えた
  3. 今まで面倒くさくてやってなかったけど家全体をWi-Fiでカバーする必要ができた(自分のPCを受信側に切り替えて中継器を設置した)
  4. そうしたらテレビにもWi-Fiが届くようになって「Amazon Prime Video」が観れるようになった(PCでは観ないタイプ)。
  5. スタッフのかんなが「"鬼滅の刃"が面白い」と言っていたのが、全話視聴できる事に気づいた
  6. 時間はあった。見始めたら止まらなくなった。
  7. 1st Seasonの26話をすべて見てしまった。
  8. このままでは消化不良だという所で映画が公開された。

と、まあそんな感じでした。

正直に告白すると、自分はアニメ作品はテレビも映画も門外漢。現代に至る歴史や進化なんて全く分かっていません。
せいぜい子供がいるからアニメ映画を「点」としては観たぐらいです。
ちなみに「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」は大傑作だと思っています。

では「鬼滅の刃」がなぜ面白いのか?以下にまとめてみました。

このパターンの作品では敵の強さがどんどんインフレーションを起こし、それに対峙する主人公の成長がキモなのですが、既存の様々な作品では主人公の成長っぷりが不自然なのが多いです。
それに対して竈門炭治郎の成長は違和感なく受け止められる自然さがあります。新しい技を会得して新たな敵を倒すという階段的なものではありません。
必ず主人公の鍛錬と心の成長に応じての成長がきちんと描かれていて、その結果としてより強力な敵が倒れてゆく。そういうスロープ的なところがしっかり描かれているから共感できるのだと思います。

鬼滅の刃
か頂いちゃいました。

竈門炭治郎は心根の実に優しい男で「明鏡止水」という言葉が良く似合います。実際映画でもそういうシーンがありました。
彼は現代の時代にはおよそ似つかわしい実直さと純粋さ、そこから生まれる優しさを持った人物で(大正時代の話です!)、そういう点にも魅力を感じます。彼の持つ揺るぎない「人間観(鬼観を含む)」がこの話の骨になっています。どんな鬼に対しても人間だった頃に思いを巡らす優しさがある。作品はそこを丁寧に描いているから話に深みがあるんだと思います。

登場人物…特に主人公と近しい善逸や伊之助、殆どセリフのない禰󠄀豆子に至るまでキャラクター設定がしっかりしており、勝手にどんどん動いてくれます。
一方で個々にはミステリアスな謎が多いため、それが知りたくて先を観たくなってしまうというのも特徴です。
今後の話で回収されるのかな?漫画も読みたくなってしまいます。

ちなみに作品中に「全集中の呼吸」っていうのが出てきます。意識を集中させて己を強化するための呼吸法でして、技はすべて「水の呼吸」とか「炎の呼吸」とか言ってるわけですが、これってボイトレだなぁと思いました。24時間とは言いません。せめて歌う時だけは「全集中の呼吸」で。わからなきゃおいでなさい(笑)

それと僕は泉鏡花の幻想文学が好きです。
大学生の頃に大枚を叩いて買った岩波書店の「鏡花全集」は今でも本棚に並んでいます。

実は半分も読めていません。しかも今は青空文庫で作品の多くを読める時代。

実は「鬼滅」には鏡花の世界に通じるものを感じるのです。
大正という時代に出てくる「怪異」という設定もそうですが、「美しさ」と「残酷さ」、「純粋さ」と「邪悪さ」、そして「聖」と「俗」とを徹底的に対比させる描き方がまさにそうだと思います。その著しい「両極端さ」加減が鏡花の幻想文学そのものだと思いました。

ちなみに鏡花の小説に出てくる主人公の男性は竈門炭治郎のような「何もそこまでしなくても」と思うような、やもすれば原理主義的な正義漢が多いです。
また主人公の女性は....えーと浅草でお医者さんをやっている....そう、珠世さんタイプの「母性」が全面に出た人物が多いです。

話が脱線しますが、最初に強く鏡花的なものを感じたのは、主人公が鬼殺隊に入るための選抜試験を受けるシーンでした。
あのシーンでは鬼がうようよしている山に入る直前、藤の花が咲き乱れている美しい場所があります。鬼は藤の花が苦手だそうで、いわば「結界」の役割をしています。

この空間設定を何重もの円として考えてみると、まず外周に「現世」があります。次の内周に藤の花があります。そのさらに内周にあるのが魑魅魍魎の世界です。
このように空間や時間を「入れ子」の状態にしたり、その変化にアクセントをつけて次の空間を際立たせるというのは鏡花がよく使う手法でした。過去と現在とを行きつ戻りつする話の描き方にも鏡花っぽさを感じました。

鬼滅の刃、鬼殺隊選抜試験世界の概念図

まあそんなこんなで、封切り二日目に「無限列車」に乗ってみたわけです。
周囲では泣いているお客さんもいたけど、自分なりに感動しながら帰ってきました。

今の時代を「サイコパスがトクする時代(平然と倫理に反した行為ができる人が得をするという矛盾した時代)」だと、ある評論家が書いていました。
そういう時代だからなおさら主人公の純粋さ、そこから生まれる強さに魅力を感じるのかもしれませんね。
彼は純粋がゆえにありとあらゆるものを吸収して強く成長してゆく。心の中を涼風が吹いたような気分となりました。
もっとも...最後の最後にある人物が逃げ切った先には何があるのかと言えば、きっと続編があるんだろうな、とは思いましたが。

キャラクター設定がしっかりしているから無意識の世界の中もよく描けている事、伊之助は活躍していたけど、善逸は少な目だったので煩くなくて良かった e.t.c

そう、今回は6~7人でゾロゾロ観に行ったのですが、半分ぐらいの方々のはテレビ版もみていなければ漫画も読んだ事のない方ばかりでした。
映画的にはTV版の完全に延長でして、さしずめ第27話~32話とか、そんな感じです。
僕はいきなりこの内容でわかるのかなぁと思っていたのですが「普通に入ってゆけた。感動した」という意見が圧倒的でした。

あとは余談….あのシーンの作画の参考にしたんじゃないか?と思ったのが、こちらの画像です。

六軒事故

昭和31年に参宮線六軒駅付近で発生した「六軒事故」です。構図が似ているなぁと思いました。
もっともアニメの設定は大正時代。映画見ながら思ったのは「大正時代は木造客車だからあんな状況では済まなかっただろう」という事でした。
当時の客車は車輪とかシャーシ部分は鋼鉄製なんですが、その上に木造家屋が乗っかつているような状態でした。脱線しようものならば上の構造物は全部粉砕されてしまうわけです。
しかしそこは映画内のセリフでしっかりフォローされていました。

もっとも、あんな列車に乗せられた乗客はたまったもんじゃありません。鉄道院に抗議しなくちゃですね。