あれから10年

東日本大震災の一週間がたった3月18日、娘の小学校卒業式がありました。

親御さんたち有志による『卒業を祝う会』というのがありまして、僕は卒業記念DVDの編集担当でした。僕や親御さんたちで手分けして映像や画像など素材を集め、最終的に編集して作品に仕上げるという役割でした。

あるお母様は僕のデジカメで子供たちがグラウンドで遊ぶ姿を撮影してくれたのですが(画像)、それが撮影されたのは3月11日のことでした。

2011年3月11日、14時すぎ撮影

最後のコマは震災発生のわずか21分前です。
僕の手元には笑顔で集合写真におさまる子供たちの姿があります。彼らはそのままグラウンドで体験した事もない強い揺れに襲われる事になります。

震災後はどの保護者さんも大変でした。職場で震災の対応に追われ帰宅も困難な状況、生活用品の確保も大変な状況で素材集めに奔走してくれました。
本来は卒業式当日に子供たちに配布する予定だったDVDは、後日「卒業生懇親会」で配布と決まりました。

「本当に無事に卒業式を迎えられるんだろうか?」

親御さんたちも子供たちもそこを心配していましたが、幸いにも卒業式当日は大きな余震もなく、式は行われました。

いよいよ子供たちが退場する時です。空から降りてきたかのように「今の映像を撮らなきゃ」と思いました。
今日撮影したものであれば、まだDVDに加えられると思ったんです。

僕はビデオカメラを持って小走りに移動し、退場する列の真正面でカメラを構えました。絶好のポジションでしたが運よくそこには誰もいませんでした。
子供たちの列がこちらに進んできて、ちょうど僕の数メートル手前で左に折れて退場するというポジションです。

思いっきりズームにして、一人一人の子供たちの表情をとらえました。泣き顔や笑顔でこちらに歩いてきて、横を向いて退場する顔、顔、顔。

実は終戦後に米軍が日本で撮影したカラーフィルムの中に、似たようなアングルの映像があったんです。
廃墟の中を一列になってこちらに歩いてくる子供たちの笑顔でした。いいなぁと思っていたんです。それを意識して同じように撮影してみました。

最後のお子さんが体育館を出てゆくシーン。僕は彼の後ろ姿にカメラを向けるんですが、ここで彼にズームするかどうか一瞬悩んだ上で、ズームで追わないようにしました。
旅立つ子供を追ってはいけないと思ったんです。そうしたら体育館の外の光が子供を包み込み、まるで彼が光の中にフェイドアウトしてゆくかのようないい絵が撮れました。

そして続くエンディングロール(卒業生全員の名前が流れる)には、6年前の入学式で撮影した子供たちの入退場の映像を小さく入れてみました。BGMには村松健「春の野を行く」と中村由利子「パストラル」を使用したのですが、映像に加えたらゾッとするほどにぴったりシンクロしてくれたのです。映像の躍動と音楽の躍動がピタリと一致し、もう音楽の神様が降りてきたんじゃないかと思ったものです。

撮影から数日後、DVDを完成させ。親御さん何人かで手分けしてDVDコピーをしまくりました。120枚以上。
数日後、卒業生たちの懇親会でそれを配布しました。

もの凄い反響でした。親御さんも子供さんも卒業式シーンとエンディングロールを見てボロボロ泣いて下さったのです。
趣味や仕事で色々な映像を撮ってきましたが「あれ以上の映像を撮れ」と言われても二度と撮れないと思います。

震災後一週間という状況、親も子供も精神的に疲れのピークだった中で、何とか卒業を迎えられた喜びと安堵感。そんな中でお手伝い頂いた親御さんたちの想いがぎっしり詰まっているんです。そんな様々な要因や偶然が幾重にも重なって完成した映像。二度と撮れるわけがないんです。作れるわけがないんです。そして映像の神様、音楽の神様も手伝ってくれたとしか言いようがありません。

あれから10年がたちました。

素材集めとDVDのコピーをお手伝い頂いたあるお母様は、不運にも亡くなられました。
実は最後に退場したお子さんのお母様でした。

生前に「何十回見ても泣けてしまいます」と言って下さったのが忘れられません。

いま、あの時の子供たちは22歳となりました。