東日本大震災直後、あちこちに貼られた張り紙の記録 [1]

今日で東日本大震災から5年という歳月が流れました。
すでに自分やスタッフたちの想いに関しては教室サイトのブログに書いたので、こちらでは今までUPしていなかった5年前の「記録」を紹介してみようと思います。一種の「考現学」と思ってご覧ください。
節電なう
(教室入口に貼った「節電なう」の張り紙。3/17撮影)

震災の直後のあれやこれやを処理して、何となく(少なくともここ上大岡あたりでは)平穏になりつつあった3月24日から撮影は始まっています。

【ATMの営業時間短縮・休止など】
ATM営業時間短縮・休止のお知らせ
(湘南信用金庫上大岡支店に貼られた「ATM営業時間短縮のお知らせ」。3/24撮影)
ATM営業時間短縮・休止のお知らせ
(同じ張り紙の挨拶文を接写。)
輪番停電は「いつどこが停電になるか見当もつかない」という状況下で無人ATMの営業休止という事態を起こしました。操作中に停電になった場合、係員の対応も難しく、トラブルの原因になりかねなかったからでしょう。当時、湘南信金では横須賀横浜地区に無人ATMは30基以上あったと思われます。これらATMが営業再開したのは4月15日のこと。公式サイトに現存するPDFを画像ファイルにしてみました。
ATMコーナー営業再開のお知らせ
(湘南信金 ATMコーナー営業再開のお知らせ 4/15)
この文面によると「計画停電実施の一時見合わせ」ということが発表されて後、無人ATMの営業が再開されたことがわかります。「終了」ではなく「一時見合わせ」と強調されている点がミソですね。どうでもいいですが、これって「奠都(てんと)=都に定める」と「遷都(せんと)=都を移す」の違いに似ていると思うんです。明治になって東京を都と定めはしましたが(東京奠都)、決して都を移した(遷都)わけではないんです。東京は一時的な都として始まって、今でもそうなんですよね。だから京都もまた日本の都であるという理屈です。東京電力による計画停電は今なお計画されており、ただ実施されていないだけです。それを証拠に東京電力にはいまだに「計画停電情報」のページが現存しており、今なお更新を続けています。
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(ゆうちょ銀行の「お知らせ」 4/20)
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(ゆうちょ銀行「停電中の窓口取扱に関するお知らせ」)
停電によって業務が停止したのはATMだけではなくて、窓口業務もそうだったという記録です。

【人が消えた中華街】
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(「お客様各位」。中華街日昇商店にて撮影 3/27)
中国人観光客などによる「爆買い」なんて言葉が流行っている今との大きな違いは、震災直後に中国の方々がごっそり中華街から消えてしまったという事実です。福島原発事故の影響に他なりません。メインストリートはともかくとして、裏通りのお店ではこのような張り紙が目立ちました。
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(地震の影響でしばらく営業を停止します的なことが書いてある 3/27)
興味深いのはこの2枚の張り紙が「4月中旬」あるいは「四月十五日」と営業再開を約している点でして。横浜での事態の平穏化がその位のスパンで訪れることを、あたかも予想しているかのようです。
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(関帝廟のライトアップ停止 3/27)
手塚治虫は自分の戦時中の体験を描いた「紙の砦」というマンガをこんな風に締めくくっています。8月15日の「終戦」に半信半疑だった主人公は、街の灯が輝いているのを見て初めて終戦を実感します。戦時中は爆撃を避けるために厳しい灯火管制が敷かれていたからです。小躍りする主人公は「これからは誰にも遠慮せずにマンガを描くぞ」と好きな女の子に訴えます。街の灯は戦争が終わったことの象徴だったんですね。震災後一年ぐらい後でしたでしょうか。関帝廟のライトアップがなされていたのを見て「もう輪番停電はなくなったんだなぁ~」と実感したのは、この時の張り紙を思い出したからでした。
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(地震によって営業時間が変更になったことを告げている 4/3)

【エレベーターの停止】
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(エレベータ運行中止のお知らせ 3/29)
子供の頃に見て今でもトラウマとなっている映画に「恐怖のエレベーター(1974)」というのがあります。故障により停止してしまったエレベーター内に閉じ込められた乗客たちによるパニック映画なんですが、今強盗してきたばかりの犯罪者がいれば、閉所恐怖症の男もいる、大金持ちの未亡人もいれば、小心者の不動産屋もいるという群像劇は、落下するエレベーターからの奇跡的な脱出で幕を閉じます。
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(輪番停電によるエレベーター停止の可能性を示唆する張り紙 その1 4/1)
停電によって同じ事がいつ起きるかわからないというのがこの時期のエレベーターでした。最近のエレベーターは最寄りの階まで移動して扉が開くだけの非常バッテリーを持っているんだそうですが、何しろ原発の安全性ですら信じられなくなってしまった直後です。「シンドラーのリフト」事件も生々しい頃でした。
エレベーターに乗ることに抵抗を感じたのは、僕だけではなかったはずです。
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(輪番停電によるエレベーター停止の可能性を示唆する張り紙 その2 4/8)
そしてこの時「エレベーターに乗る」という当たり前のような行為は「自己責任」となったのです。
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(輪番停電によるエレベーター停止の可能性を示唆する張り紙 その3 4/8)
上の画像には「情報が錯綜しておりますので充分お気を付け下さい」と書かれていますが、ここにはチラシを制作した人の嘘偽りない本音が出ていると思います。「コロコロ情報が変えやがって、東京電力め!」という怒りの気持ちです。あの時期に輪番停電への対応をした方なら、朝令暮改と一喜一憂の繰り返しにうんざりしたという記憶があるでしょう。
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(目に見える形で運行停止を伝える方法。貿易センタービルにて 4/18)