八ツ場ダム
「八ツ場ダム」と書いて「やんばダム」と呼ぶことなんて、つい最近まで知らなかった。
そもそもこのダムがどこに建設されるものなのかも知らなかった。
他の建設計画中のダムと混同し、長野あたりに作られるダムだと思い込んでいたぐらいだ。
それが最近のニュースで群馬県の吾妻川流域だと知った時、鮮やかにひとつの記憶がよみがえった。
ちょうど5年前の2004年の11月のことだ。
軽井沢から浅間山を抜け、嬬恋村の鎌原という集落へ行ったことがある。
天明三年の浅間山大噴火の際、噴火物によって生じた熱泥流によって鎌原村がまるごと壊滅したという歴史的大災害があった。その災害に興味があった僕は、ここを再び訪ずれたのだった。
この時の鎌原でのレポは3年後に「天明三年、浅間山大変記 ~鎌原村土石流~」という記事にした。
鎌原を出たあとは吾妻川の渓谷ぞいに渋川まで抜けることにした。
最盛期は過ぎていたものの、渓谷の紅葉が大変美しかった。
途中にちょっとしたドライブインと駐車場があったので、そこに車をとめて渓谷の下まで降りてみることにした。
天明三年の噴火の際、鎌原村をまるごと押し流した熱泥流は、村先の断崖絶壁から怒涛のように吾妻川に流れ込んだ。そして一瞬だけ水位100mという自然のダムを形成したのち、自然崩壊した。
そして恐ろしい土石流となって、下流を蹂躙したのだった。
そんなことを思い出しながら、渓谷へと降りていった。吾妻川の川岸には、マグマが冷え固まった火成岩があるはずだ。もしかしたら鎌原村の遺物が見つかるかもしれない、なんてことも考えていた。実際のところ明治43年に吾妻川の川岸で、鎌原村にあった延命寺というお寺の石碑が発見されている。
駐車場からつづら折の小道を降りて行ったら、数分で川岸に出た。
火成岩はあちこちに転がっていたけど、むろん鎌原村の遺物は見つからなかった。
でも、それ以上に紅葉が美しかった。ここでしばしの間ボーッとしていた。
新しい仕事をはじめて半年が過ぎ、ようやくそれが軌道に乗ってきたところだった。
そんな時に、こんな場所でボーッとしている時間というものは、とても貴重だった。
ようやく駐車場に戻ってきて、脇にあった看板に気づいた。これを見て驚いた。
その看板には「このあたりにダムを作りますよ。その目的は洪水の調節と都市用水の開発ですよ」ということが書いてあった。
「おいおい、本当かよ」僕は絶句した。
横には完成イメージ図が描かれていた。
美しい風景を見た後に、そこがもうすぐこうなっちゃうんですよと説明するイメージ図には、何だか挑発的なものを感じた。
そうか、もうこの美しい風景を再び見ることはできないのだなと残念に思った。
そうした感情のゆきつくところとして「建設中止になればいいのになぁ」と、看板を見ながら呟いた。
そして帰途についた。
むろん、そのダムの名前も記憶しなかったし、この画像を撮影したこともすっかり忘れていた。
そして5年の月日が流れた。
国土交通省関東地方整備局は2日、八ツ場ダム(群馬県長野原町)の本体工事の入札を取りやめると正式発表した。前原誠司国交相の指示を踏まえた。群馬県など関係自治体や住民は同相の建設中止表明に反発しており、地元との調整は長期化が予想される。入札は9月11日に開始する予定だったが、同ダムの建設中止を掲げた民主党が衆院選で圧勝し、同省は手続きを当面延期すると発表していた。 (10月2日 時事通信)
ディスカッション
コメント一覧
八ツ場ダムのことを報道でいろいろ知るにつけ、群馬県というのはそういうところだったんだなぁ、と思います。
ちょっと考えただけでも、首相になった何人かが思い浮かびます。
力のある政治家が沢山いたということが、住民にとって幸せだったのかどうか、です。
>せろりさん
お久しぶりです。
住民の方にとって幸せもあり、どうでもいいこともあり、そのどうでもいいことが多いか少ないかというところでしょうね。たとえば群馬県内をものの見事に高速道路と新幹線が十字ネットワークを広げていることは、県民の方にとってはとても便利になったと思います。
一方で...って話になりますが、八ツ場ダムに関しては、
経緯があまりにも長すぎ、その結論があっさりくつがえってしまったため、個々の住民の生活が翻弄されてしまっている現実があります。水没すると言われていた川原田温泉の旅館の方々の声ひとつとってもその苦悩が公式ページからも伝わってきます。過去の歴史的経緯によってそうなっているわけですから、翻弄されている方々には現実的な対応をして欲しいですね。