東日本大震災

管理人のたわごと

(この記事は何度も書き直して、書き直して、書き直しているのだけど、うまく書けない。)

3月11日の地震以来、会う方会う方と無事を祝いあっていたが、ふと思った。
震度5で祝福しあっていたら、震度7の激震だった地域の方々に本当に申し訳ないんじゃないだろうか?と。

もちろん「ご無事でしたか、それはよかったですね」というのは相手を思いやる言葉として大切だと思うし、すべてのバスや電車がストップした中で、何時間もかけて自宅に帰られた方々を慰労する気持ちは人として当然のことだと思う。

たまたま自分は1987年の千葉東方沖地震を千葉で、1995年の阪神淡路大震災を京都で震度5の揺れを経験しているから、というのもあり、心のどこかで「もちろん無事でしたよね」という気持ちを前提として「ご無事ですか?」と尋ねている。

でも甚大な被害に遭われた被災地の方々は違う。震度7ともなれば、本当に一瞬でも生死の境目に直面し、辛うじて生還された方ばかりだ。なんだか「戦争中はインパール作戦に従軍して大変な目にあった」という人の目の前で、「戦争中は甘いものが食べれなくて困った」という会話をしているような気がして、申し訳なく思ってしまうのだ。これってサバイバーズギルトなんだろうか?

さて、僕の母方の祖父母は宮城県の出身だ。
祖母は仙台駅の裏側にある二十人町の薬屋の娘だった。僕が高校生になる頃までは曾祖母の小春ばあさんが健在で、1978年の宮城県沖地震の際は「天井に足がつくかと思ったぐらい揺れた」と、オリジナリティ溢れる証言を残している。

いっぽう祖父(湯の花トンネル列車銃撃事件に遭遇したごっつぁん)はといえば本吉郡(現登米市)津山町柳津というところで生まれ育った。いまだ一万人の安否が不明な南三陸町からは気仙沼線で山あいへ三駅入った鄙びた田舎町だ。昭和19年にサイパン島が玉砕した後、僕の母はここに疎開していた。

両家とも近しい親戚はすでに全員亡くなってしまい、ともに区画整理で町並みが変貌し、跡継ぎも引っ越してしまったため、僕が「じいさんやばあさんの故郷」と感じるようなものは何もない。あるとすれば御先祖様のお墓ぐらいのものなのだろうけど、それも今回の地震でどうなったかわからない。

だから僕の体の中には宮城県人....いや東北人としておこう.....その血が半分ぐらいは流れている。
とても実直で真面目な人たち....そういう人たちをこれでもかこれでもかと....津波、火災、放射能、雪とありとあらゆる方法で、しつこくしつこくなぶり続ける今回の地震には心がえぐられる気持ちがする、やりきれない怒りまで感じる。

「阪神淡路大震災よりひどい」。僕もカミさんもそう思っている。単に地震の規模の大小じゃない。比較的狭い「面」が集中的に壊滅したあの地震に比べると、どこをどう手をつけていいのかわからない位、被災地が点のように広範囲に分散している。点と点を結ぶ線は寸断され、海からの救援もまだ本格化していない。何よりも泥濘に覆われた被災地への救援はほとんど空から行うしかない。そして原子力発電所の安全神話は、しょせん「神話」だったことが露呈した。

昭和45年に出版された、吉村昭のノンフィクション「三陸海岸大津波」には、こんなくだりがある。
「明治二十九年の大津波以来、昭和八年の大津波、昭和三十五年のチリ地震津波、昭和四十三年の十勝沖地震津波等を経験した岩手県田野畑村の早野幸太郎氏(八十七歳)の言葉は、私に印象深いものとして残っている。早野氏は言った。『津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う』」。
何もかもが予想を超えている。地震の規模もそうだし、津波の規模もそうだ。ここまではこないだろうと予想したラインを遥かに超えて濁流が襲ってきた。そして前回の教訓からあまりにも長すぎるインターバルもそうだったのかもしれない。

今、自分ができることって何だろう?と考える。
色々あるのだろうけど、昨日Twitterで知った「ヤシマ作戦」を紹介。

【ヤシマ作戦】
昨日のお昼ぐらいからTwitterで広まっている被災地への電気の供給を優先させようという作戦です。語源はエヴァンゲリオンの作戦名なんだそうですが、もっとわかりやすいネーミングが欲しかったなぁ。食料、救援物資、募金、ボランティアいろいろなモノやヒトの応援もあると思いますが、物流ネットワークが混乱している今は、とにかく電気を優先的に被災地に送ることが先決です。きっと被災地も暖まると思いますよ。
twitterのハッシュタグ #yashimasakusen110312
ヤシマ作戦概要
節電徹底へ「ヤシマ作戦」賛同者がTwitterで広がる

○上地雄輔のブログ「届いてくれメッセージ。
とても素晴らしい記事です。

最後に、今回の地震で亡くなられた方々には心よりお悔やみ申し上げます。
また被災地で今なお救援を待たれている方々には心よりお見舞い申し上げます。

管理人のたわごと