親子で音楽 (The Beatles編その1)

管理人のたわごと

かなりはっきりとモノを言う&クールな年頃の次女(13歳)と音楽を聴くという企画第二弾。
今日のテーマは「The Beatles」。お題は父が適当にセレクト。

The Beatlesが好きな長女に比べると、次女はあんまり興味なし。好きなアーチストはフジファブリックとRadwimps。最近はAndymoriやモーモー・ルル・ギャバンにもハマっているようだ。
ただし幼児期に「Yellow Submarine」のアニメーションが好きだったのと、日常の生活や授業で聞いている曲は聞いている、というレベル。

【I Saw her Standing There (1962)】

娘「パッとしない曲だね」
父「げー、いきなりそれかよ」
娘「ほら、Aメロ、Bメロ、Cメロってあるじゃん。なんかこの曲平坦だよ」
父「ひどいなぁ、音の感じはどう」
娘「スカスカ」
父「ひぇ~」

【Helter Skelter (1968)】

娘「うん、カッコいい!
父「おお、そうこなくちゃ、他には?」
娘「これに尽きる!」

【With A Little Help from My Friends (1967)】

娘「えっ、こんだけ、これで終わりなの」
父「そうだよ」
娘「だって盛り上がるところが、よくわかんなかったよ」
父「.....」

【Yesterday (1965)】(音楽や英語の授業で彼女自身がよく聞いている曲)

娘「これは神だね。神曲(かみきょく)」
父「おお、そうか」
娘「神7だよ」
父「えっ、神7って何」
娘「えー、お父さん知らないの?AKB48の人気上位の7人だよ」
父「知らなかったなぁ。つまり絶対的にいい曲っていう意味かな?」
娘「うん」

【Hey Jude (1968)】

娘「クラシック....ロック?」
父「どういう意味」
娘「ほら、お父さんのiPodにモーツァルトとか入っているじゃん。あんな感じ」
父「えっ、名曲という意味?」
娘「うん、そうと言えばそうなんだけど....」
父「あっ、もしかして、普通の音楽はそのあたりに転がっているけど、立派な棚に飾られている音楽みたいな意味?」
娘「うんそう。気軽に聞けない感じ」
父「まじかよ...ちなみに"クラシックロック"ていう言い方はあるんだぜ」
娘「そうなの?どういう意味」
父「1960年代とか70年代のロックを海外ではそう呼んでいるよ」
娘「ふうん」

【Revolution (1968)】

娘「アメリカ?って感じ」
父「えっ、どういう意味?」
娘「アメリカの音楽って感じ」
父「うーん、それってこういう感じって意味かな」と言って3コードのロックンロールのギターリフを歌ってみる。
娘「うん、それそれ」

【Yes It Is (1965)】

娘「リラックス・タイムだね、これは」
父「どういう意味?」
娘「"くつろいで聞いて下さい"って感じ」
父「そのまんまだな」
娘「ところで、お父さんさぁ」
父「何?」
娘「フジファブに変えてよ。何曲も聞いていると眠くなってくるよ」
父「おいおい」

正直言って、今回は前回ほどの面白さはなかった。あまりにも時代が彼女から外れているのだ。彼女がビートルズの音楽に対して、どこをどう評価すべきか当惑していることを感じずにはいられなかった。
今の13歳にとってビートルズはおよそ40~50年前の音楽という時間的位置にある。これを13歳当時の僕の位置からみると1930年代のBenny GoodmanやGlen Millerといったスィング・ジャズを聞かされているぐらいの昔ということになる(そこまでの心理的距離感はないとは思うが)。

思うに次女にとってビートルズというのは「高尚な音楽」なのだろう。もはやビバルディの「四季」や、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」と同列か、それに近い場所にある音楽なのだろう。誰もが絶賛し、オトナがおすすめする音楽だから絶対的にいいものなのかもしれないけど、親しみを感じるかどうかは別だ。彼女のそんな意思を感じずにはいられなかった。

といいつつ、第二弾では「A Day In The Life」や「Revolution #9」のような実験的試みの作品も流してみようと思っている。

次女(中学1年)の同級生でビートルズが好きな子は一人もいないそうだ。
長女(中学3年)の学年でビートルズのメンバーの名前をフルネームで全員言えたのは、長女だけだったそうだ(誰もGeorge Harrisonを言えなかったらしい)。
そんな長女は「The Beatlesはいい曲はいいけど、最初の頃のアルバムは古くさい。The Whoの方がぜんぜん聞ける」というミもフタもないことを言っていた。

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