今年最後の記事 -2011年3月15日の教室から-
東日本大震災の発生後、誰もがパニックに近い症状になったのはむしろ震災の翌週でした。
輪番制停電の混乱やガソリン不足もあったのでしょう。身近な危機感ぐらい恐怖心を煽るものはありません。震災の翌日のレッスン稼働率が70%だったのに対して、翌週火曜日は30%まで落ち込んでいたのです。
(3月11日、午後2時58分の教室)
そんな3月15日火曜日は、頻繁に発生する余震の中で何ともポワンとした時間が過ぎてゆきました。
スタッフたちは地震と原発災害の影響で生徒さんが激減することを心配していたはずです。売上がなければ資金繰りは悪化すると考えていたことでしょう。
そんな中、スタッフたちがこんなことを言ってきました。
「私たち、話し合ったんですよ」
「ん、何?」
「"給料出なくなってもいいから、ここで働こうね”って」。
僕の中で言い知れない感動が体の中をぐるぐる回りながら、脳天に向かって上ってゆきました。
彼女たちは、ここで働くことに生きがいを感じています。ここで働くことを誇りに思っています。
ですから「給与が出なくてもいいから、働きたい」と言ってきたのです。
経営者として、これほど冥利に尽きる言葉があるでしょうか?
(3月11日、午後2時58分の教室)
しかしこの言葉に甘んじてはいけません。
僕がやるべきことは、彼女たちを安心させることです。
そして、まず彼女たちが安心することが、生徒さんを安心させることにつながるのです。
「ありがとう。でも大丈夫!」
そう言うと、僕はカバンの中から「株式会社ミューズポート」の預金通帳を取り出しました。そして預金残高をスタッフ全員に見せたのです。
社長が会社の預金を社員全員に見せるなんてこと、普通はありえません。ありえないけど、あえてそれをやりました。
(教室脱出直前の午後4時38分に、南区と中区方面を撮影)
「この金額を見てごらん。みんなのおかげでこれだけの貯金がある。これは拡張のためにずっと貯めてきたお金だ。たとえこの瞬間に売上がゼロ円になっても、君たちに〇か月以上も給料を渡せる金額だ。僕はそれを約束する」。
「考えてごらん。もし生徒さんが地震の影響で減ったとしても….僕はそんなことはないと僕は思っているけど....〇か月もあれば生徒さんは戻って来ると思わないかい?」。
スタッフたちの顔が急激に安心してゆくのがわかりました。
結局、教室は一日も休むことなく最初の一週間を乗り切りました。
相次ぐ余震に、スタッフも怖かったと思います。
でも笑顔でレッスンに臨み、大勢の生徒さんと「生」を分かち合ったのでした。
レッスンの稼働率は翌日には70%まで回復し、翌々日には90%台まで回復しました。
あの状況下で教室が平然とそこにあり、平然とレッスンを続けていたことが大勢の生徒さんを安心させたのです。
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仕事納めのあと、毎年「今年も無事に生き残った」という深い感慨を抱きます。
会社が永遠に存続し続けることなど絶対にありえません。油断も慢心も禁物です。僕はそういう瞬間をいくらでも見てきました。だからこそ色々な工夫をし、努力をしてきました。
たとえば今年は日本中の音楽教室に先駆けて「ミューズポート式スケジューリング 略して”ミュースケ”」を実現しました。”レッスン1分前までに連絡くださればレッスン時間の変更が可能”というこのシステムは、2年ほど前から検討してきたものでした。震災後の対応を教訓として「よし行こう」と実現化したものです。
そんな風にして一年が終わろうとしています。震災時よりも生徒さんはぐっと増えました。
今年もまた多くの方々に出会いました。そして多くの方々に支持を頂きました。この感謝の気持ちはどのようなお礼の言葉を述べても、決して足りることはないでしょう。そして何よりも今のスタッフに出会えたこと、今のスタッフとこの一年を乗り越えられたことを、誇りに思います。
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