戦友

管理人のたわごと

M君「もうホント、これはダメだと何度思ったかわかりませんよ」
僕「俺も俺も。何度死にかけたかわからないよ~。よくお互い生きていたね~」

大阪の堺市郊外にある駅、そこの本屋さんでM君と再会した。
なんだか、彼の元気な顔を見るだけでジーンときた。
実に12年ぶりの再会だった。

食品会社の営業をやめ、京都太秦でCDショップの雇われ店長をしていたのは1990年代の後半だった。
M君の勤務している書店が隣にオープンした。
関西では何店舗も展開しているお店だ。

年齢が4つか5つ差と近かったこともあって、よく仕事の合間にお互いの店を行き来して、世間話...いや、情報を交換しあった。
万引きがあらわれれば、どちらも商店街をダッシュしたし、
どちらも仕入に悩み、在庫管理に悩み、売りの工夫をあれこれ考えながら、スタッフを管理していた。
週休1日半、勤務時間12時間(あっ、これは僕の勤務形態ね)、あるいはそれに近い怒涛の日々をかいくぐった仲だった。

残念ながら数年でその書店は閉鎖され、彼は本店へと戻った。
ほどなくして僕もCDショップを辞めて関東へ戻ってきたから、それ以来、彼とは会っていない。

それからの道のりは、そりゃあもう、よく生き伸びているよなぁ、と思うことばかりだった。
何度「こりゃあもうダメだ」と思ったかわからない。

1年ほど前、名刺を整理していたら、彼の名刺が出てきた。
「懐かしいな、今どうしているのだろう?」
ダメモトで書店の本部に電話をかけたら、
「今、堺の○○店におります」と教えてくれた。
早速、そのお店に連絡を取ってみた。
電話の向こうには彼がいた。彼は相変わらず元気だった。

GWに、奈良県の吉野から河内長野へ抜ける機会があった。
義父母が「河内長野の観心寺へ行ってみたい」と言ったのだ。
そこからは堺市まで一直線だ。
「M君に会えるかもしれない」と思った。
もしその日、彼がお店にいなかったら、それはそれで運命だ。

幸運にも彼はお店にいた。
「いてくれて、よかったよ」と言ったら、
「こちらこそ、思い出してくれただけでも嬉しいですよ」と言ってくれた。
「そりゃあ、あの商店街の戦友だからね」と僕は言った。
なぜか「戦友」という言葉が浮かんだ。
大袈裟なような気もするし、あの修羅場ではまさにそうだった気もする。

とにかく二人とも元気に仕事をしていて、こうやって再会できたことが嬉しかった。

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