Amazonから志村喬
GWに兵庫県朝来市の「志村喬記念館」に行ったことから、我が家では昭和の名優志村喬ブームが再燃している。
(志村喬記念館)
一回目のブームは1990年代。
夫婦して黒澤明映画にハマっていた時期だったし、当時は京都の太秦で暮らしていた。ここは志村喬も住んでいた街だった。
夫婦そろって彼には「俳優の中の俳優」「神」という認識があった。
しかもこの人、母方の祖父さんにどこか似ているところがある....
これさえあれば怖いものなどない。兵庫県の朝来だって行くったら行くよ。
(「野良犬(1949)」の志村喬と三船敏郎)
(「生きる(1952)」の志村喬)
ただし、黒澤映画なんて見たこともない娘たちにはチンプンカンプンだったに違いない。
このタラコ唇のオッサンのどこが良くて兵庫県まで行く必要があったのかは、いずれ映画を見るようになったらわかるだろう。
そんなわけで、唯一の伝記「男ありて -志村喬の世界-(澤地久枝著)」を読みたくなった。
15年も前に太秦の図書館で借りて、夫婦で回し読みをした本だ。
アマゾンで調べたら、古本の出品があったので早速注文した。
本日それが届いた。
ところが開封した瞬間に驚いた。
おいおい、僕は「ゴーマニズム宣言」なんて注文した覚えはないぞ。
ん~なになに「間に合わせですいません、もったいなくて(貧乏含む)」と書いてある。
そして中には注文の本が.....
つまり「ゴーマニズム宣言」のハードカバーを再利用した梱包材だった、というわけ。
注文した本のタイトルじゃないけど、出品者の「男気」に感じ入った。
そして近年の流行だった「ゴーマニズム」という思想を、いともたやすく打ち破った志村喬の普遍性に改めて恐れ入ったのである。
ディスカッション
コメント一覧
昨日は時間がなくて残念でしたね。志村喬は、歌も上手く、マキノ雅弘の『鴛鴦歌合戦』で歌ってましたね。
昔、研修で、ソニーの盛田副社長が英語で話すのを見せられたことがありますが、そのとき思ったのは、「この人が誠実で嘘を言っていないことがわかるが、まるで志村喬みたいだ」ということでした。
黒澤明の『静かなる決闘』を見たことがあるでしょうか。私には、ここでの三船の苦悩は、徴兵されなかった黒澤明の罪の告白に思えるのですが、いかがでしょうか。
>さすらい日乗さま
昨日はあわただしい中で失礼しました。今度ゆっくりお話できたら幸甚です。その際は盛田さんのお話しも詳しくお聞かせ願います。
「静かなる決闘」は、見たことがあります。大筋は覚えています。たしか千石規子との壮絶なセリフの応酬がありましたね。
「徴兵されなかった罪の告白」という視点は面白いですね。
戦後間もないころの黒澤映画に共通する「復員してきた若者を温かく見つめる視線」みたいなものはいつも感じていました。
「素晴らしき日曜日」の恋人たちに対する視線、「酔いどれ天使」「野良犬」の三船に対する志村喬の視線などです。
それが日乗さんのおっしゃる「罪」の裏返しだとすれば合点はゆきます。
いっぽうで戦時中の黒澤は映画監督という立場で「一番美しく」などで国策に協力し、従軍しないかわりに戦時下の映画監督として責務を全うしていたのですから、「徴兵されなかった罪」という自覚の有無については、何とも私にはわかりまん。彼自身が言及しているものがあればいいのですが。
そうした作品群の中にある「静かなる決闘」ですが、当の復員軍医の三船が高潔すぎると、見た当時は感じました。
黒澤が考えていた当初のシナリオでは三船が発狂するというラストシーンだったと聞いております。もしそうであれば、別の印象を得たのですが。
「鴛鴦歌合戦」はDVDで持っています。ディック・ミネも志村もいい味を出していますね!
『静かなる決闘』は、千秋実が主催していた劇団薔薇座での菊田一夫作の『堕胎医』が原作で、そこでは主人公の医者が発狂します。しかし、GHQから血液から梅毒が伝染ることはないとの指摘と、黒澤自身の贖罪意識から変更されたと思います。それは、黒澤が脚本を書いた『暁の脱走』で、原作は手榴弾での自爆なのに、わざわざ不発にし、小沢栄太郎に二人を射殺させる結末に変えたのと似ていると思います。
黒澤の贖罪意識については、『静かなる決闘』『野良犬』『醜聞』『羅生門』の4本に極めて強く出ています。
また、晩年の『乱』で、仲代達矢が「皆を殺して、俺一人生き残った」というセリフでも、黒澤の贖罪意識は明確で、『夢』の「トンネル」も、そのものだと思います。
黒澤は書いていませんが、それを作品で言っていると思います。
>さすらい日乗様
本日貴著を頂戴致しました。ありがとうございました。
いかんせん100ページの評論文であります。あるいは映画を見つつ考えてを巡らすべきものと存じます。頂戴したコメントも踏まえつつ、拝読するのに今しばらく時間を下さいませ。