下山定則、東京鉄道局長時代の映像

下山事件資料館

既出だったらごめん。
NHKアーカイブスで下山総裁が東京鉄道局長時代の映像を発見した。肉声も収録されている。

映像の埋め込みができないので、リンクで見て欲しい。
NHK「戦争証言アーカイブス」⇒「日本ニュース」⇒「1947年3月」⇒「惨!列車てんぷく死者約一千 埼玉」がそれ。
映像の最期、5分55秒ぐらいから「下山東京鉄道局長」として記者の質問に答えている。
この人の制服制帽姿というのは意外と珍しいもので。そういう意味でも貴重な映像だと思う。
下山定則東京鉄道局長
(キャプってみた...すぐ消すかも)

1947年(昭和22)2月25日に発生した「八高線列車脱線転覆事故」に関するニュース映像で、同年3月4日に映画館で公開された「日本ニュース」のもの。
「戦後編 第60号」となっているが、これは1946年1月からの新生日本ニュースに付されたリリース番号だ。

「八高線列車脱線転覆事故」とは、八高線の東飯能駅-高麗川駅間で速度超過状態の列車がカーブを曲がり切れずに土手から転落、死傷者495名という大惨事となったもの。
当時は屋根の上から連結部分にまで旅客を乗せるというお約束の「定員超過状態」。それが速度超過に至ったのが原因だという。木造客車だったことも被害を拡大させている。
原因こそ違うものの、状況的にはJR福知山線脱線事故と似てなくもない。

事故に関しては「下山総裁の追憶(1951)」に、読売新聞記者で下山と親交のあった栖原眞文がこんなことを書いている。

八高線の事故の時もデスクが鉄道の先輩だったので「局長の車で往け」というので車を出してほしいと話したら「よしや!俺も往こう」とすぐ現場に往った。現場で局長は車両の下まで細かく見て廻るので感心させられた。

下山事件資料館