ボブ・ディランの歌詞には実は何の意味もないんじゃないか的視点から

上大岡的音楽生活,管理人のたわごと

ボブ・ディランが書いた曲(こうなっちゃった以上「詩」と言った方がいいのかもしれない)に「マイティ・クイン – Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)」というのがある。

後で説明するけど、いわゆる「Basement Tapes時代」の作品だ。

歌詞はこう。レコードやCDの対訳はとりあえず忘れて、辞書とにらめっこして自分で訳してみた。

Everybody’s building the big ships and boats
誰もが大舟とボートを作っている
Som are building monuments, others jotting down notes
あるヤツは不朽の名作を作り、他のヤツはノートに落書きしてる
Everybody’s in despair, every girl and boy
みんながっかりしている。男の子も女の子も
But when Quinn the Eskimo gets here everybody’s gonna jump for joy
だけどエスキモーのクインがやってきたら、みんな大喜び

Bob Dylan – Mighty Quinn (JASRAC様:歌詞は引用の範囲で盗用の意図はありません)

※1「マイティ」には「強い・強力な」とかいう意味があるのだけど、ここではそのままにした。これは「ジャイアントロボ」における「ジャイアント」みたいな使い方だろうと思った。そう言や当時「マイティ・ハーキュリー」という海外アニメ(カナダらしい)があって、日本でも放送されていたっけな。

(Mighty Quinn – 1970年のライブ)

(Manfred Man – Mighty Quinn – このカバー曲の方がむしろ有名かもしれない)

うーむ、さっぱり意味がわからない。
僕の訳が下手くそだとかいう事じゃなくて、誰がどう訳しても(多分レコードの対訳をやった片桐ユズルさんでも)、これとそんなにかけ離れた「意味」を見出すことはできないんじゃないだろうか。

ただ、これを訳しながらフト気づいたのだけど、これもしかしたら「Basement Tapes時代」の音楽状況なんじゃないかな?と思った。「monuments」は「記念碑」みたいな意味があるけど一方で「不朽の名作」っていう意味があるってことに気づいたからだ。
1966年のディラン
(1966年のディラン)
ここいらで「Basement Tapes時代」の事を説明しなくちゃだ。
1966年7月29日、ディランはニューヨーク郊外の田舎町ウッドストックでオートバイ事故を起こす。「打ちどころが悪かったら即死していた」とか色々な事が言われているけど、ここでディランは1年半近くに渡って「隠遁」してしまう。

ちょうどこの前の時期、1965年にディランはフォークギターをエレキギターに持ち替えてフォークシンガーからロックシンガーへと「転向」している。これは今までのフォークファンからは非難ごうごうだった。彼らはフォークをロックより高尚な音楽と考えていたからだ。それもそうだろう。この時代までのロックというものはあくまでダンス・ミュージックであり、ノリとサウンドが骨、歌詞はオマケでしかなかった(もちろん例外もあるけど細かくツッコまないように)。「今夜も君と踊ろうぜイエーイエーイエー」だ。
The Bootleg Series Vol. 4: Bob Dylan Live 1966, The
(怒号入りアルバム「Live 1966」。ようやくCD化されたのは1998年のこと)
だからエレキギターを持ったディランのコンサートではフォークのファンの怒号が渦巻いていた...というか、転向ディランとそれを受容したファンとで真っ二つとなっていた。1966年5月17日にイギリスマンチェスターの「フリー・トレード・ホール」でのライブ(The Bootleg Series Vol. 4: Bob Dylan Live 1966, The “Royal Albert Hall" Concert)はその熱気を記録している(以前はブートでしか入手できなかった)。トラック7の「やせっぽちのバラッド」の直後、ディランと観客のこんなやりとりが入っている。

観客A「ユダ!(裏切り者)」
観客の笑いと拍手
観客B「お前の曲なんか、二度と聞くもんか!」
ディラン「お前のことを信じない、お前は嘘つき野郎だ!」
観客の拍手

事故による「隠遁」が、実はそんな喧噪から逃れかったのだという見方には賛成だ。
ではこの隠遁期間に何もしていなかったのか?といえばそうではない。
同じく喧噪と怒号を浴びた彼のバックバンド(のちのThe Band)と共に、自宅の地下室(Basement)で膨大な量のレコーディングを行っていた。

これらの音源は非公式には世界初の海賊版と言われる「Great White Wonder」として、1975年には公式盤「地下室 – The Basement Tapes」として、リアルタイムでは他のミュージシャンのカバー曲として出回ったりリリースされたりしている。「Mighty Quinn」も実はその地下室から生まれた作品だった。この曲の録音、手軽なトコロでは「The Essential Bob Dylan」に収録されている。
地下室
(「地下室」系2種類。全貌を露わにした右のボックスセットは涙ものの内容だったが、財布も涙ものだった)

彼が不在だった1年半、ロックを取り巻く音楽状況は急激に変化していた。複雑で時にはメッセージ性を持ったディランの詩がロックサウンドに乗った事が、逆に既存のロック・ミュージシャンに衝撃と影響を与えた。ビートルズのジョン・レノンもその一人だった。ロックは急激に「こ難しいモノ」となり、過去との大きな分水嶺を自ら作り出していった。急激にそれ以前のロックを過去のものへ押しやってしまった。

そんな中から1967年6月1日にはThe beatlesの最高傑作(と言われている)「サージェント・ペパーズ」が誕生する。ありとあらゆる賞賛を受け「不朽の名作」と言える作品だ(個人的には他のアルバムの方が....)。そして時代は極彩色なサイケデリック・ロックの時代。ドラッグの幻覚症状を音楽で表現した、長大でスケールが大きい「大舟」作品があれこれ生まれている。ロックもポップ・ミュージックも百花繚乱の時代だった。その嵐の中を、ディランはひたすら「隠遁」していたわけだ。

そんな時代状況を踏まえながら「Mighty Quinn」の歌詞を読むと、別の解釈も見えてくる。「マイティ・クイン」ってディラン自身なのではないか?ということだ。
世の音楽が大きく動く中で超然としている、いかなるブームにも乗らずに身を潜めて「事態が推移するのを待つ」ような人物。そもそも自分がロック化したのが引き金だったことを一番よくわかっている張本人。それが地下室で誰にも聞かれることのないであろう音楽(実際はそうではなかった)を楽しんでいる状況が目に浮かんでくる。

さて、ここまではロックの歴史の切れ端をふまえつつ、思ったままに書いてみた。
でも僕自身、事実は多分違うだろうな、ということを知っている。

ディラン自身が後に語っている所によれば(レコード盤の解説書にも書かれていた)、たまたまテレビでアンソニー・クインがエスキモー役をやっている映画を見て、この曲を作り出したのだという。これは1960年の「バレン(The Savage Innocents)」という映画で、クインの妻役を日本人の谷洋子が演じているヘンな映画だ。

「バレン(The Savage Innocents)」

「単なる言葉の遊びさ」
ディランならそう言うだろう。

さて、1965年のディランをとらえた「Don’t Look Back」という映画がある。ディランのイギリス公演の裏側を記録したドキュメンタリー映画だ。

(カッコいい冒頭キューカードのシーン。曲は「サブタレニアン・ホームシック・ブルース – Subterranean Homesick Blues」)

何しろ30年前に見たっきりなので(確か新大久保のブート屋で字幕入りのBetaビデオを買った。はいすいませんm(__)m)、記憶が定かではない事をお断りしておくけど、この映画のワンシーンで、ディランの大ファンという若い学生をディランが散々に言い負かすシーンがある。その学生はディランの言葉のすべてにメッセージ性を感じており、「〇〇の曲の歌詞から、僕はこういうメッセージを受け取ったんです」とか言ってディランにせまってくるのだけど、ディランは「意味?そんなモンないさ、あるわけないだろ。君は俺が書いた他愛のない言葉をいちいち真に受けて人生を無駄にしているのかい?」とか言ってバッサリ切り捨てる。散々論争しあった挙句「僕は貴方から多くのものを得たいんだ!」と言った学生に対して「ほほ~、欲しいのは金か?金が欲しいんだろう」とか言って半泣きにさせるシーンだ。これは強烈だった。

この映画の冒頭で使われた「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の歌詞だってそうだ。

「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」
Johnny’s in the basement
地下室にいるジョニーは
Mixing up the medicine
クスリを混ぜている
I’m on the pavement
俺は舗道で
Thinking about the government
政府について考えてる
The man in the trench coat
トレンチコートを着た男は
Badge out, laid off
ナニを見せて(※2)、職を失い
Says he’s got a bad cough
「悪い咳が出るぜ」と言い
Wants to get it paid off
完治する(※3)のを望んでる

(JASRAC様:歌詞は引用の範囲で盗用の意図はありません)

(※2 自分で勝手に解釈。多分これはスラングで正確な意味はわからない。あるいは「自慢して」みたいな意味かもしれない)
(※3 本来は借金を完済するみたいな意味だから、自信はない)

というわけで、全く意味が不明だ。
当たり前だ。この曲、単に韻を踏んで言葉遊びをしているに過ぎないからだ。
そもそも訳すこと自体に無理があるし、それは「翻訳者の解釈」というということになってしまうだろう。
ディランの「意味?そんなモンないさ、あるわけないだろ」という嘲笑が目に浮かぶ。
1963年頃のディラン
(1963年頃のディラン)
もちろん、ディランの詩....特に初期の作品には、明確なメッセージがあるものが多い。

「戦争の親玉(Masters of War)」
訳詞:片桐ユズル(すいません、お借りします)
Come you masters of war
おい、戦争の親玉たち
You that build all the guns
すべての大砲つくるあんたがた
You that build the death planes
死の飛行機をつくるあんたがた
You that build the big bombs
大きな爆弾をつくるあんたがた
You that hide behind walls
壁のうしろにかくれるあんたがた
You that hide behind desks
デスクのうしろにかくれるあんたがた
I just want you to know
あんたがたにいっておきたい
I can see through your masks
あんたがたの正体はまる見えだよ


(Masters of War – 1963)

これなんか実にわかりやすくて明確な歌詞だと思う。

あと、あまりにも有名なこれ

「風に吹かれて(Blowin’ In The Wind)」
訳詞:片桐ユズル(すいません、お借りします)
How many roads must a man walk down
どれだけ道を歩いたら
Before you call him a man?
一人前の男としてみとめられるのか?
How many seas must a white dove sail
いくつの海をとびこしたら、白いハトは
Before she sleeps in the sand?
砂でやすらぐことができるのか?
Yes, and how many times must the cannon balls fly
何回弾丸の雨が降ったなら
Before they’re forever banned?
武器は永遠に禁止されるのか?
The answer, my friend, is blowin’ in the wind
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている
The answer is blowin’ in the wind
こたえは風に舞っている


(Blowin’ In The Wind – 1963)

うーん、何て素敵な歌詞なんだ!まさにノーベル文学賞受賞モンである。

なんかそうやって考えてみると、初期のディランは吟遊詩人で、60年代中期になると言葉遊びの達人となり、その後は遊んだり真面目に何かを語ったりをゴチャ混ぜに繰り返しているように思う。前回のブログにも書いたけど最初に出会ったディランのアルバムが「欲望 – Desire」だったのは運が良くて、このアルバムの曲は意味が明確だったり物語風になっているものが多くてとっつきやすかったからだ。

じゃあ、その後の自分が、真面目にディランの歌詞を読み続けているかといえば決してそんなことはなかったりする。

洋楽好きには言えることなんだけど「言魂信仰」よりも「音魂信仰」の方が強すぎるのだ。

わかりやすく言えば「英語だからなに言ってるのかわからないけど、サウンドやメロディが好き」というヤツ。
かく言う自分もその一人にほかならない。

だからディランのアルバムがリリースされても対訳が掲載されている国内盤ではなく、ついつい安い輸入盤を買ってしまう。
特にこの15年ぐらいはそんな感じになっている。
最近のディラン
(最近のディラン)

そんな人間だから、ディランって「この国ではとっつきにくいアーチスト」なんじゃないだろうか位に思っている。
どうしたって言葉の壁があるから、100%理解することは難しいからだ。僕も言葉の壁があっても彼のメロディの美しさやサウンドに惹かれて聞いているトコロがある。今回のニュースで識者が「ディランの詩にはメッセージ性があって」なんてことを語っているけど、「この人、本当に詩が理解できてるならすげーな。あれネイティブでなければわからないか、初期の作品じゃないの?」って思ってしまう。

曲によっては歌詞で何十番も語りながら延々と10分以上続く曲だってある。1997年の曲「Highlands」は演奏時間16分でディラン史上最長の曲、2014年の曲「Tempest」14分弱で次点という具合で、本当に昨今でも語りまくっている。

こういうのを聞く時って、歌詞はわからないけど、その雰囲気とか空気とかを味わうように聞いている自分がいる。それはそれで好きだし、多分慣れたというのもあるのかもしれない。これを歌詞とにらめっこしながら聞いても意外と面白くないこともわかっている。

少なくとも彼女との最初のドライブで「Highlands」聞かせたら、その恋が一瞬で終わること必然だ。またいくら慣れたから言って「ロック史上最高の作品」と言われている1965年の「Like A Rolling Stone」...演奏時間は6分14秒あるけど、あれを一日中延々と鑑賞的に聞く気力はない。聞くとするならば「ディラン」という音のインテリアとして聞いてしまうだろう。

普段、僕のトコロのスタッフは「歌詞の意味を理解して歌いましょう」的なコトを言ってると思うんだけど.....本当にごめんなさい。当の上司は結構いい加減に聞いたり歌ったりしているわけだ。今回の受賞を機に、もっとまとまったディラン詩集が出るだろうから、それを改めて読まなきゃとは思っている。てか楽しみにはしている。
はしゃぐ管理人
(管理人のはしゃぎようがわかる一枚)

さて、ノーベル文学賞を受賞した当のディラン本人。

今、どんな事を思っているのか興味深い。意外とこんな事を思っているかもしれない。
「そりゃあ確かに最初の頃の俺は誰かや何かを"指す"言葉を綴っていた時もあったけど.....あとはデタラメに言葉遊びを繰り返してばかりいただけさ。まあたまには真面目に書いたりもしているけどね.....あんまり意味なんかないのさ。そんな俺にノーベル賞かよ、参ったな」

そして、こうも思っているかもしれない。
「"戦争の親玉"から賞をもらうのか。全額寄付でもしようかな」