シンドラーのリフト

管理人のたわごと

子供の頃のエレベーターに対する恐怖感っていうのは、僕らの世代は格別だったんじゃないか、と思う。

まだ僕が5歳か6歳位の頃だが、フツーの日本のTVドラマを見ていた時、衝撃的な映像に出会った記憶がある。
サラリーマン二人がエレベーターの入口で「じゃあ」とか言って別れる。一人が開いたエレベーターに乗るのだが、実は開いたのは扉だけでエレベーターはまだ来ていなかった。

男は「うわぁ~」と叫びながらまっさかさまに落ちてゆく。そして落下した男を押しつぶすかのようにエレベーターが容赦なく下降してくるのだ。カメラにぐいぐい迫ってくるエレベーターの底部、そして男が上を見ながら絶望的に叫ぶ映像がすばやく交互に流れた。

このTVドラマのタイトルはわからない。とにかく今の放送基準じゃありえないようなTV番組が平気でオンエアされていた時代の話ではある。

それと、しばしば民放で放送されていたB級パニック映画にエレベーターを題材にしたものがあった。
高層ビルのエレベーターが突然停止し、何人もの男女が閉じ込められる、という話だ。
この閉じ込められた男女の構成が凄かった。ひとりは閉所恐怖症の男、ひとりはこのビルで泥棒を働いたばかりの犯罪者、すぐパニックになるオバサン、マザコンの男性、正義感のあるマッチョマン...などなど。

ほとんどエレベーター内での密室ドラマなんだけど、とにかく次々とストーリーが進展し、最後はワイヤーが切れかけたエレベーターから皆さん奇跡の脱出をして、犯罪者だけを乗せたハコがまっさかさまに落下してゆくというような話だったと記憶している。

この映画がどんなタイトルだったか忘れてしまっていたが、google先生で調べてみたら、
恐怖のエレベーター 高層ビルパニック」というタイトルらしい。1974年の映画だから、おそらく僕がこれを見たのは10歳ぐらいの時だったのだろう。年に一回ぐらいはTVでオンエアされていたような記憶がある。

だから子供の頃、エレベーターに乗るのが怖かった。落下する恐怖、停止する恐怖を常に感じていた。
子供の浅知恵で、「落下する瞬間にジャンプしたら助かるかな?」なんて事を本気で考えていたものだ。
その一方で横浜三越(今のヨドバシカメラ)がオープンした時は、あの正面玄関のエレベーター(外がよく見えるので当時は画期的だった)が珍しくて、買い物に連れていってもらうのが楽しみだったのだから、子供の考えることはよくわからない。

まあ、とにかくオトナになるにつれて、いつの間にやら免疫ができたようだ。今ではパルポート上大岡のエレベーターに平気な顔をして乗っている。

ちなみにパルポート上大岡のエレベーターの製造メーカーは「OTIS(オーチス)」だ。メンテナンスは外注ではなくメーカー自身が直接行っている。エレベーター業界に詳しい僕の友人に言わせると、「メーカーの直接管理は交換部品の調達がスムーズで、機械にも精通しているから、コストはかかるけど安心」なんだそうだ。以前「いつ来ても定期点検中なんだよ。階段昇りはしんどいよ」と生徒さんからグチを聞いたことがあるけど、まあそれだけマメに点検しているということなのかもしれない。

さて、話またズレます。
ミュージシャンの忌野清志郎は60年代に亡くなったR&Bシンガーのオーティス・レディング(OTIS REDDING)を大変リスペクトしている。彼が最も活躍したのがアメリカ南部音楽の中心地メンフィスだった。だからOTISに代表されるソウル・ミュージックを「メンフィス・ソウル」と言う。そんな清志郎が憧れの聖地メンフィスを訪れた時の話。
Otis Redding
清志郎がホテルのエレベーターに乗るとそこには「OTIS」と書いてある。
「さすがメンフィスだなぁ~。エレベーターにまで"OTIS"の名前が書いてあるよ」
それを聞いた誰かが、
「忌野さん、あれ違いますよ。単なるエレベーターのメーカーの名前ですよ」
と言うと、
「うるさいなー。俺はそう信じているんだから、それでいいじゃないか」
と答えたらしい。

ウソかホントかは知らないけど、小貫信昭さんが書いた「6*9(ロック)の扉」という本に書かれているエピソードだ。

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