いまわの
4月30日に祖母が亡くなったと思ったら、5月2日に忌野清志郎が、5月11日には三木たかしが亡くなってしまった。何だかややこしいな。
清志郎にはそれなりに思い出がある。
ちょうど高校生の頃(1981-1984)がRCサクセションの全盛期だったからだ。
「PLEASE」「BLUEl」「BEAT POPS」は、教室の大勢のヤツがレコード盤かカセットテープで持っていた。高校の時にいたバンドでは、文化祭のライブで「雨上がりの夜空に」「こんなんなっちゃった」をやったこともあった。ライブの打ち上げを高校近くのバー(言っておくけど時代は1980年代の初頭だ、実にそのあたりがいい加減な時代だった)。飲めもしないのにジン・フィズをガンガン飲んで酔っ払って僕たちは、深夜の商店街で「雨上がり」や「サマータイム・ブルース」の子供ばんどバージョンを歌いながら踊りまくり、挙句の果てに高校の体育館に侵入して寒さしのぎに暗幕に包まって寝た。今ではいい思い出になっている。
だから名曲「トランジスタ・ラジオ」に出てくる「寝転んでたのさ屋上で、タバコの煙とても青くて」という主人公の風景には、クソ生意気でアホ高校生だった自分の姿を今でも投影してしまう。
そういえば、この歌詞に出てくる「タバコの煙が青い」のは煙が青空に映えているんじゃないと思う。この主人公はイキがってタバコを吸ってはいるけど、肺まで吸ってなくて「口の中でフカしている」だけだから、煙が青色をしているのだろう。
そんなことはずっとオトナになってから気づいたのだ。
当時の僕は深くRCにハマるということはなかった。The Whoや60年代のロックを聞くのに必死だったというそれ以上の理由はない。
オトナになってから清志郎を一回だけ生で見た。
4年前、渋谷公会堂で行われたThe Golden Cupsの再結成ライブの時だった。ゲストシンガーとして清志郎が出演し、Sam & Daveの「Hold On,I’m Coming」を歌ったのだ。
清志郎は60年代、Golden Cupsのフリークだった。わざわざ東京の日野から毎週のように本牧まで足を運び、彼らのステージを見ていたのだそうだ。
清志郎が歌っている時、あんまり客席のノリが良くなかったので、一緒に行った方と客席で踊っていた。後日このライブがDVD化された時、このシーンで我々が思いっきり写っていたのには驚いた。このステージにいたCupsのボーカルのデイブ平尾は昨年の11月に亡くなり、そして清志郎も亡くなった。
相変わらずオチのないblogなんだけど......祖母が杖をつきながら冥土への四十九日間の旅を続けていると、後方から急ぎ足でやってきて抜かしてゆくヤツがいる。あるいは三途の河を渡る船に乗り合わせたオカシな奴がいる。それが清志郎に違いない。
58歳の清志郎のロックスピリッツを見て唖然とする95歳の祖母....
そんな光景を想像してしまった。
ディスカッション
コメント一覧
特に凄いファンというわけではなかったけれど、大好きでした。興奮しましたよね。私もspiductionさんと同じく、人生の一番多感な時期に売れていて。
坂本龍一や井上陽水とコラボした作品も素晴らしかった…。
すごく残念だし、淋しいです。早すぎます
>himkoさん
僕も好きなんだけど、のめり込みもしなかったですね~
でも「トランジスタラジオ」を聞くと、あの甘酸っぱい時代を思い出します。とにかく早すぎる死でした。
三途の川を祖母と同じ舟で渡っていたら、面白いだろうなと。