二日だけの「風街」 -神田川白鳥橋の都電遺構-
はっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」には「風をあつめて」という名曲があります。
汚点だらけの靄ごしに
起きぬけの起き抜けの路面電車が
海を渡るのが見えたんです
「風をあつめて」by はっぴいえんど
松本隆が描いた「記憶の中の東京」には麻布の暗闇坂にむささび変化が出没し、路地裏はヒーローでいっぱいで、都電が海を渡ってゆきます。はっぴいえんどや松本さんの世界観を愛する人はそんな東京を「風街(かぜまち)」と呼んで愛しています。
2024年10月15日「廃止された路面電車の線路が舗装の下から出てきた! 東京白鳥橋で10月16日まで公開」というニュースをみました。神田川の白鳥橋の撤去工事の際、橋上のアスファルトの下から、都電の軌道がまるまる発見されたというニュースでした。しかも15日、16日の二日間だけ一般公開されるとか。
「これは行くしかない!」。
たまたま東京に別件があったので、あわせて行ってきました。場所は飯田橋駅から神田川沿いに700mほど進んだ「大曲」にある白鳥橋です。
行ってみると大曲側からは橋に入れず、上流の中之橋を渡って安藤坂側から入ります。
月曜日の昼間にも関わらず、新白鳥橋から遠目に見て凄い人だかりでした。
会場への出入りの人が多すぎて、この看板もなかなか撮れません。
「まんまじゃん!」と思わず声に出してしまいました。
いやもう申し訳程度に残っているんじゃなくて、レールも敷石もそのまんまです。
敷石を剥がしてどこかに転用するとか、レールは回収して金属再利用するとかって発想がないんですね。そのまんまアスファルトで埋める、凹凸のある部分だけコンクリートをパテ替わりに使っているんです。
展示解説によれば、ここは都電39系統(早稲田~厩橋1丁目)が走っていたそうです。早稲田から来た都電はここで大きくカーブして白鳥橋を渡る。橋上に「大曲電停」があったようです。
この後、えっちらほっちら安藤坂を上って伝通院のあたりから富坂、本郷、御徒町を越えて厩橋まで続いていたようです。この区間は1968(昭和43)年9月29日に廃止されたとのこと。
敷石に溝の模様を付けるっていうのはわかる気がします。昔京都の太秦に住んでいた頃、雨の日に嵐電の走る三条通を原付で走るのは結構怖いものがありましたから。レールのツルツルでスリップするんですよ。
こうしてまじまじと見ると、思っていたよりレールの溝って浅いんですよね。自動車も通るわけだから、あまり溝は深くできないのかな。
そして、この錆ですがレールが劣化した錆というよりは、架線のスパークで落ちたり、レールと車輪がこすれて落ちた鉄粉のような気がしました。
この遺構も、まさか56年後に日の目を見るとは思ってもいなかったでしょう。
それにしても実に美しいです。
これは安藤坂側。橋はここから下り勾配となり、文京区側に入っても数十メートルは下りになります。その後は安藤坂を一気に上ってゆきます。アスファルトを塗る上で高低差ができるので、ここから先は敷石を剥がし、レールも切断したのでしょう。
敷石の断面がわかるように撮ってみました。
その下の「地層」は、砕石のようなもので鉄骨の橋を覆っていたようですね。
最後に展示解説を見ました。往年の白鳥橋の写真をいくつか。
諸河久さんという方が廃止の前日に撮影されたようです。
まずは早稲田方面から大曲をカーブして白鳥橋を渡ろうとしている都電。橋の上に大曲停留所があるのがわかります。背後に見える建物は観世会館(昭和29年竣工)。観世会館の背後に見えるのは同潤会江戸川アパートかもしれません。
これは同じカーブを高いアングルから撮影したもの。橋の上でも路線がカーブしているのがわかります。
これは安藤坂方面から真正面に都電を撮影したもの。
昭和8年当時の白鳥橋の平面図もありました。
最初から都電が通る事を想定して作られた事がわかります。
近くの工事計画看板には「護岸の整備にあわせて白鳥橋を落橋し、護岸と一体構造になる新たな橋台を構築します」とありました。
最後に安藤坂の方から白鳥橋を撮ってみました。
知らない人が見たら「なんのことやら」という感じですね。
かつて都電が走っていた幻想の「風街」。
それが21世紀の東京に蜃気楼のように姿を現したような、そんな気分になりました。
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