最後に信じなきゃいけないのは

管理人のたわごと

最近はご無沙汰していますが、スキーやスノーボードで真っ白な斜面を滑走していると、自分という人間が「宇宙の中でたったひとつの存在」だということを強く感します....なんて言うとカッコよく聞こえますが、そんな大した意味ではありません。
ゲレンデを滑走している時に聞こえるのは滑走音と風を切る音と自分の息遣いだけなんです。そして視界に入るのは圧倒的な力を持った大自然です。そして自分コントロールを誤れば自分が転倒します。ヘタすれば怪我します。そんな中で自分が生み出した音と自分の内から出てくる音しか聞こえないという時、誰もが一瞬「自分がいま、たった一人」であることを強く感じるのではないでしょうか。僕はとりわけガランとしたスキー場で滑っているときに、それを強く感じました。

僕の場合はゲレンデにたどり着くと人間の息遣いがあるので、それはそれでホッとするタイプなんですが、その「たったひとつの存在」ということを強く感じながら、自分のスタイル、ファッション、生き様に反映させてゆく人もいるでしょう。国母選手にはそんな「たったひとつの存在」という意識の強さを感じました。

そうした強さみたいなものが、時には社会と軋轢を生んでしまうので損だなとは思いましたが......

今回の騒動では、つくづく日本のマスコミは不思議だなと思いました。
「ガンバレニッポン」「メダルに期待!」と持ち上げたりプレッシャーを与えておきながら、次の瞬間には服装問題と記者会見発言で、わずか21才の若者.....これから勝負に出ようという自国の代表選手を叩きました。
ちょっと他の国では例のないことだったと思います。
そして、やりすぎだったと気配を察したのでしょう。
「実はいい人だった、こんないいことをしていた」と持ち上げています。人間という存在を翻弄するのもいい加減にしろ、と思いました。

「いい人」が一つでも悪いことをすると「実は悪い人だった」となります。
逆に「悪い人」(と表現したら国母選手には悪いですが)がいいことをすると「実はいい人だった」となります。
だったら最初から悪い人であることの方がどれだけお得かわかりません。
これは別に「銀魂」のセリフに始まったことじゃありません。20年前の「サルでも書けるマンガ教室」にも書かれていたことだし、ジャイアンもそんなことを言っていたような記憶があります。
人間とはそういう風に考えるのでしょう。ただそういう心理を利用して....いやそういう世論を利用して、持ち上げたり、持ち下げたり、まあとにかく注目を集めようとする人たちがいるんだなってことは、今回改めて強く感じました。

一人の人間の中には優しさもあれば、意地悪さもある。温かさもあれば、冷たさもある。生意気さもあれば、謙虚さもある。慈愛の心があれば、残酷さもある。そういう存在ですから、ヘンな世論操作による二元論で語って欲しくないものです。

そうそう、戦前と戦後であっさり態度が切り替わった新聞各社の紙面を思い出しました。

そんなマスコミの姿勢を何十年も見てきたために、いま僕は自分が一番好きではない新聞を購読しています。そうすることによって、新聞に書かれている言論を客観的に見つめるられるかな、と思ったんですが....これもまたなかなか難しいですね、ハイ。

それでも最後に信じなきゃいけないのは、自分の目と耳です。

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