御茶ノ水研究会紀要 (1)
-1978年御茶ノ水橋の写真と現在とを比較する-
さてさて、成り行きで立ち上げた「御茶ノ水研究会(略して「お茶研」)」。
前回の「楽器屋ツアー」に引き続き今回は3回にわたってどうでもいいことを書いてみようと思う。
1978年のこと。当時中学校1年生だった僕は、友人のH君と二人で御茶ノ水へ遊びにいった。中学校の先生から「御茶ノ水は面白いよ。本屋さんがたくさんある。一度行ってごらん」と言われたのがきっかけだった。横浜から電車に揺られて1時間強、日曜日の朝9時すぎという恐ろしく早い時間にお茶の水駅に降り立った。
この時「東京を観光しよう」という目的もあったので、いきなり神田明神という渋いトコロを選択して向かっている。
この時、聖橋の上から親父から借りたカメラで撮影したのが下の写真(クリックすると大きな画像でご覧になれます)。
(御茶ノ水橋 1978年)
いつの間にやら東京の空は建物に侵食されていたんだなぁと、改めて驚かされる。
外堀川の右手にスタンドアローンで聳え立っていた順天堂大学のビルが今では肩身の狭い思いをしている。
そして両方の写真に現存しているもののひとつが、橋の遥か向こうにかすかに写っている後楽園遊園地(現東京ドームシティアトラクションズ)のスカイフラワーだ。
2~3年以内に撤去されるというウワサもある。
遊びにゆくなら今のうちだろう。
ディスカッション
コメント一覧
以前に2年ほど神保町に住んでいたのですが
街の移り変わりの速さに驚かされていました。
御茶ノ水は歩いて10分程度の距離だったのですが”近所”という意識があると、思ったより出かけなかったなあ、、
あのあたりはビジネス街になので
生活用品や食料品を購入するのに困りました。
“都市の空洞化”ってやつで、地域住民は”過疎化”しているのですが、地元の神社のお祭りなどでは振舞酒や祝い餅などを出したりしていて、江戸っ子の心意気を感じていました
過疎化したコミュニティとビジネス街としての隆盛の二重構造っていえばいいのでしょうか?
たまに平日休暇を取った時に部屋着でタバコを買いに出ると、ビジネススーツで気ぜわしく歩き回っている人たちとの距離感というか、違和感というか、、、
すれ違いのような感覚が胸に残っています。
あ、名前入れ忘れました
上記書き込みは”テツ”です
(いつもお世話になっております)
こんにちは。書き込み経験がありますが、匿名にさせていただきます。
昔の風景との定点比較、大好きです♪
今ある建物で70年代に無いものは意外に多いですね(便利になったような少し寂しいような)。
70年代には存在していた古い建築物は、使い勝手の悪さで何となく分かります。
①デパートのエスカレーターが狭く、天井が低い(外国人客を想定に入れていなかったのか小柄な日本人向け設計。身長170後半以上の人なら、ボーとエスカレーターに乗っていたら間違いなく頭をぶつける低さ)
②建物内外につぎはぎが多い。無計画に建築したのか、年を追うごとに使い勝手の悪さが露呈し、増改築を繰り返した結果がコレ。美的景観に関心が無かった頃の時代背景がうかがえます。
③トイレの数が少なく狭い。1つのトイレに個室が2つしかないのもざら。しかも2つのうちの1つは和式だったりする。和式トイレは通常、扉から見て横向きだが、古い建物だと何故か扉に背を向ける形で設置されていたりする。洗面台の蛇口は未だにひねるタイプ(水しかない)
④エレベーターが狭く、来るのが遅い。当時からあっただけマシ?現代のニーズに合っていません。
⑤入口は階段を上る。古い物流センターにありがちですが、いくら内部にエレベーターを設置しても、入る時に不便では意味無いです。
今は京急もほとんどの駅でエレベーター・エスカレーターが設置されていて、体の不自由な人への配慮が当然のようにされていますが、70年代はそういった概念が無かったようで・・・
古い建物に対する文句ばかり書き連ねてしまいましたが、70年代の都会が最近好きなんです。
広くて便利で自由、綺麗な空間を我々日本人が手に入れるようになったのはせいぜいここ15年程度前の話だと思います。
>テツさん
いつもお世話になってます。
御茶ノ水も神保町も僕は感覚的に一緒の場所ですね。
神保町に住んでいたなんて滅茶苦茶うらやましいですが、おっしゃるとおりで生活するには不便でしょうね。ブラっとカロリー定食を食べるわけにもゆかないし.....あの街は好きな場所ですが、一定の距離があるからいいんでしょうね。
>匿名さん
「京都、円通寺裏定点画像」に続いての定点比較企画となります。1970年代の都会はよかったですよ。それが当たり前だったからというのもありますが、ずっと空が広かったです。
考えてみれば①とか②のお陰だったのでしょうね。