ヌッキー竜 “長渕剛 Live’81″完全再現ライブ at A’s 吾妻橋 ~順子は表か裏か?~

ライブレポ

ずっと吾妻橋のA’sへ行くのには抵抗があった。
何しろ長渕剛の「聖地」である。きっと革ジャンをはおったマッチョ系の怖い兄ちゃんがたむろしているに違いない。

そもそも僕は長渕のファンではない。あえて言うならば彼がデビューした頃は"さだまさし"を聞いていた人間だ。
この二人に共通するのは九州出身ということぐらいで、1980年代をピークに「軟弱」というイメージがついてまわったさだと「マッチョ」というイメージがついてまわった長渕とでは、対極のポジションに位置するアーチストと思ってきた。ヘタすれば長渕のファンは「さだ」と聞いただけで襲ってくるのではないか?と思っていた。

(会場となった吾妻橋の"A’s(アズ)")

そんな僕と竜ちゃん、それぞれの「さだ、長渕」に対するこだわりにはどこか共通項がある。
それは「初期の時代が好き。あとの時代はよくわからない」ということだ。
これってニューミュージックから音楽に入って、その後は洋楽に流れていった人間特有の現象だろう。

そんな竜ちゃんが数年前に長渕の入門編としてまず最初に貸してくれたのが「長渕剛 LIVE’81」だった。
大半の曲が長渕ただ一人の弾き語りを中心に構成されているこのライブアルバムは、竜ちゃんにとっては「音楽的ルーツ」なんだという。

これを聞いて驚いたことがある。そこにいたのはマッチョな長渕剛ではなく、気さくで陽気な兄ちゃんだったということだ。そのボーカルは透明感のあり優しげで、歌詞には女性的な繊細さがある。それと「夏祭り」のスリーフィンガーに代表されるように、彼のギタープレイは凄い。そして飛び交う女性ファンのキャーキャー声....マッチョ姿のダミ声で野郎ばかりの観衆に向かって「ヨーソロー」やっているのとは随分違うぞ....

さらに同時期のスタジオ録音のアルバム「風は南から」「逆流」「乾杯」も聞いた。吉田拓郎やボブ・ディラン、ニール・ヤングの影響を感じた。ためしににライブバージョンとスタジオバージョンとを聞き比べをしてみた。「順子」「巡恋歌」「祈り」などはベタなアレンジで歌謡曲っぽくなっていて好きじゃない。ライブ・バージョンの方がずっといい。唯一「逆流」のスタジオバージョンはいいと思ったけど、これってどう聞いても拓郎だ。

時代はすでに1981年。もはやフォークの弾き語りの時代ではなくニューミュージックあるいはテクノポップの時代だった。またライブレコーディングの技術も格段と向上していたと思う。「順子」「乾杯」というスマッシュヒットの力を持ってすれば、豪勢なバンドサウンドのもと、スタジオ音源に近いサウンドを生み出すことも可能だったはずだ。そんな中で「Live’81」はシンプルなギター弾き語りライブだ。考え方によっては時代に逆行しており、一般的なリスナーの期待も裏切っており、こんな危険なことはないのだけど、これもまた「順子」「乾杯」によって勢いづく長渕の強い意志ががあったんじゃないかと思う。そしてそれは多少なりともスタジオバージョンに対する忌避感みたいなものが、あったんじゃないだろうか?
とにかく「Live’81」は余計な贅肉(いや、彼の場合筋肉と言うべきか)がないだけに、スッと聞き込める一枚だった。

(吾妻橋の町じゅうにこのチラシが貼ってあった)

さて、前置きが長くなったけど、そんな竜ちゃんが「Live’81」を完全再現….つまり全曲をプレイするライブをやるという。
会場は吾妻橋のA’s(アズ)。以前から「長渕剛Night」で竜ちゃんがお世話になっているお店だ。
今回ばかりは怖い兄ちゃんたちがいようと何だろうと、行く価値があると思った。絶対聞き逃せないライブになると思った。

そういうわけでお店に入ってゆくと、なるほど店内はナガブチ一色のようだ。

たしかに革ジャンをはおったごっついお兄ちゃんが数名いることはいるが、大半はフツーの方々だ。この程度ならば怖くはない(笑)。
さらに女性のお客さんもいた。同席させて頂いた女性のお客さんは上大岡のStreetにも来て下さった方だ。冗談で「この場所で"さだ"の名前を出したら、どうなるかとヒヤヒヤしている」という話をしていると、他のテーブルに座っていた女性の方から「私もさださんのファンなんですよ」と声をかけられた。

まず大橋さん、DJシーツさん、中山さんという3人が各2曲ずつ、三者三様のナガブチをプレイ。

そしてヌッキー竜ちゃんの登場だ。
「え~1981年、今年最後の...最後じゃねえや」というアルバムどおりのMC&「巡恋歌」から始まった。アウトロがS&Gの「Anji」なのも一緒だ。

「"完全再現"ってどんな感じなんだろう?」というのは誰もが思う疑問。まさかMCまで?というのは誰もが考えること。まあ表現者がある程度「再現ライブ」するんだったら、受け手も「再現観客」になりきって同じ空気を楽しみたいところだ。

「再現観客」といえば「順子」における「表の手拍子」というのがある。
現在ならば「お~じゅん、きのなをべば」の赤字の部分に手拍子が来るだろうけど、「ライブ音源では」逆。「お~ゅんこ、きみのをよべ」の部分に手拍子が入っている。
そう、1980年当時はまだ観客の手拍子が裏ではなく表で叩かれる時代だったのだ(現在でもまつざきさんが「6月のジルバ」をコンサートで歌うと、表で手拍子が入る)。
表現者にとってはノリにくくなる表手拍子だけど、これを皆でやるのかな~と思いつつ手ぐすね引いて待っていると、お客さん全員ハナから裏で叩いている。
つまり今は意識せずに裏で叩く時代になっている、というわけだ。
「それは違うぞ」と言わんばかしにあえて表で叩いてみたけど、あんまりやると竜ちゃんやりにくいだろうから、途中でやめてしまった。

「再現観客」のお次は「“ひざまくら"のまさお」というもの。MCで長渕が「お客さんの中からひとりの名前を使って歌いたい」というと、観客の中から一際大きく「まさお~」という声がある。そこで長渕が「まさお」を歌詞に入れて「ひざまくら」歌うというものだ。僕も事前に「"ひざまくら"はどうやるんです?」と尋ねていたぐらいだ。

そこでの竜ちゃんのMCはこんな感じ。
「さて、ここで皆さん「まさお」を期待していると思いますけど、やりません」。
そこからお得意のホモネタになって、別の曲をお店のマスターのAkiraさん(本イベントの企画者でもある)に捧げる形で愛情たっぷりの曲プレイした。
これは竜ちゃんがよくやる「音楽作法」なんだ。
いい意味で観客の期待を裏切り、笑いを誘い、その上で誰かを立ててゆく....これができるようになるには、相当ステージを経験しなきゃいけないだろうな。

「夏祭り」の凄いスリーフィンガープレイをiPhoneで録音させてもらった。
♪iPhoneで録音したヌッキー竜 – 夏祭り♪

そして10分の休憩を挟んでの後半は、レコード時代ならばそのままB面の1曲目だった楽曲「俺らの旅はハイウェイ」から始まった。

「今日は仲間が遊びに来てくれています」というオリジナルと同じMCで、竜ちゃんの音楽仲間であるラージ飯島さん、そして長戸洋さんをサポートに迎えてのステージだ。オリジナル音源では石川鷹彦がプレイしていたパートをラージさん、そして谷口陽一さんのラップスティールギターを長戸さんがエレキのチョーキングでプレイしたのだけど、実に素晴らしかった。その感動はこの録音を聞けばわかる。
♪ヌッキー竜 – 僕らの旅はハイウェイ~二人歩記♪

まあこんな感じでライブは進行した。そして僕にとってのクライマックスは「逆流」。
♪ヌッキー竜 – 逆流♪
騙されたと思っていいから、この鬼気迫る録音を聞いてみるといい。

ヌッキー竜というひとりの人間がいて、若い頃長渕に出会って「Live’80」に感動し、「逆流」という曲に感動し、どんな音楽に軸足を置いている時にも常にこの曲を愛してきた。そうした想いが「アルバム完全再現」という物凄いチャンスの中で歌った「逆流」だ。そういう竜ちゃんの人生そのものがここには出ているし、様々な紆余曲折の中からたどりついた今の自分が出ている。これは他の誰にも……おそらく長渕本人にも真似できないヌッキー竜の「逆流」だと思う。
実は誰でも人生があるわけだから、カバーであれオリジナルであれ、誰もがこういう音楽を自分の中に持っている。それが出せるか出せないかというのは「経験の積み重ね」でしかない。自分もそういう境地に一度でいいから至ってみたいものだと思いつつ、会場を後にした。

最後に…..

549mまで完成したスカイツリー。A’sからは1kmも離れていない。

ライブレポ