鶏の恨み

歴史の切れ端

戊辰戦争で仙台藩が降伏し、官軍が仙台の街にやってきた。
ひいひい爺さんの家は官軍の宿舎にされてしまった。
官軍の連中は、家の畳を全部裏返しにして、土足であがりこんだ。
そして庭にいた鶏をすべて食べてしまったんだそうだ。

「あんな悔しいことはなかった」。

折に触れてひいひい爺さんはそう言っていたらしい。
その家に嫁に来ていたひい婆さんはその話を自分の娘に伝え、娘は孫の僕に話してくれた。

(母方のひいひい爺さんとひいひい婆さん。二人とも江戸時代生まれで昭和初期に亡くなった。どうでもいい話だけど誰でも「ひいひい爺さん」「ひいひい婆さん」は8組16人いる。明治初期の人口がせいぜい4千万人だから、理屈の上では250万人に1人が御先祖様だった確率となる。)

いくら官軍の兵装が洋式だったとしても土足で家に上がるものなんだろうか?とか、
畳を裏返しにしたってことは、意外とそういうことには配慮する連中だったんだろうか?とか、
その割には無法にも鶏を食べちゃったんだな、とか色々想像を巡らすことのできる話だ。
身内の江戸時代の話では、唯一と言っていいぐらい残っている話なんで、娘には何度かこの話をしている。

あとは余談。
(明治35年、報知新聞記者の篠田鉱造が、江戸時代を生きた老人たちからさまざまな体験談を聞き書きして「幕末百話」というのを出版しています(岩波文庫で入手可能)。高級役人や政治家を除外したのが特徴で、「辻斬り」「殿様商法」「取調べ」「大砲の鋳造」から「安政の大地震」に至るまで、市井に生きたさまざまな人たちのバラエティに富んだ話が浮き上がってきて実に面白いです。この本がなかったら「辻斬り」なんて忘れ去られていたかもしれません。
直接老人に話を聞いて歴史の記録とする手法は、現代では「オーラル・ヒストリー」と呼ばれいます。)

歴史の切れ端