自分のblog記事が無断でNHKに使用された件 -関東大震災の映像に三木鶏郎が写っている件-
(この文章を、世の全てのブロガーさん...少しでもご自分なりの「知」を広げたいと思って書かれている方々に捧げます)
2023/10/3追記:和解
下記の記事の追記となります。
2023年10月3日、番組の制作に関わられたNHKのプロデューサーがお二人で僕の会社(上大岡)に来られ、守秘義務に支障のない範囲で取材の経緯について説明を受けました。
公的な謝罪というわけではありませんが、わざわざ上大岡までおいで頂いた事、経緯についてご説明頂いた事で、自分の中で「まあそういう事かな」と納得するに至る内容でした。
お二人が法的な見解をどうのこうのという話に持ってゆかず、あくまで人対人としてお話をしようという姿勢で臨んできた事も、(お互いに)幸いだったと思います。
初動において「NHKふれあいセンター」からのお返事があまりにも「ふれあっていない」内容だったので、それが火に油を注いだというのもありますが、係争する事は本意ではありません。
また僕は公式に謝罪を求めるような面倒臭いヤツでもありません。それに費やすお金があるなら、アメリカへ行って日本の潜水艦に攻撃されたエルウッド油田とか、風船爆弾で被害者の出たオレゴン州ブライとかへ行った方がずっと前向きですからね。
起こったこと
2023年9月2日、NHK総合で放送された『映像記録 関東大震災 ~帝都壊滅の三日間~ 後編』を見て愕然としました。
番組では関東大震災の映像をカラー化し、時系列で紹介するという画期的な内容でしたが、その一部が過去にこのブログで書いた記事「関東大震災の記録映像に三木鶏郎が映っている話」と酷似していたからです。
番組内では大正12年震災当時の映像に、昭和20年代から30年代にかけて一世を風靡した作曲家の三木鶏郎が写っているという事を放送しました。
この内容は私が二つの全く異なる史料を照合した上で発見し、2021年にこちらのブログで公開したものに外なりません。
むろんこれだけでしたら「いえいえ、これはNHKが独自に発見した"歴史的事実"です」と言われてハイ終わりなのですが、そうではない事も判明しています。
記事公開に至るまで
僕は2021年の12月23日に「関東大震災の記録映像に三木鶏郎が映っている話」というのをこのブログに書きました。
この記事をかいつまんで説明するとこうなります。
1:子供の頃から関東大震災の映像はテレビで何度もみていた。避難民が貨車の上で暮らしている映像も記憶していた。
2:1995年に購入した書籍『三木鶏郎回想録』に「関東大震災から避難して貨車の上で暮らした際、通りかかった活動写真に撮影された」という内容の記述があり、過去の記憶と結びついた。
3:2021年に国立映画アーカイブが運営する「関東大震災映像デジタルアーカイブ」がWEB公開された際、『回想録』の事を思い出し。改めて映像をチェックしてみた。
4:映像の中で貨車の前に立つ子供、貨車に貼られた「繁田保吉(鶏郎の父)」の貼紙を確認し、これこそ鶏郎の幼少期の映像に間違いないと確信した。
5:インターネット上で誰もこの事実を指摘していない事を確認する。
6:2021年12月23日に記事を公開。Twitterでもシェアする。
7:記事UP後「関東大震災映像アーカイブ(国立映画アーカイブ)」および「三木鶏郎企画研究所」に映像に子供の頃の三木鶏郎が写っているという事を記事のURLとあわせてご報告する。
8:国立映画アーカイブの方(お名前は伏せます)から、驚きを含めた丁重なメールを頂戴する。
9:さらに「撮影場所、撮影日が特定できた」事が研究に役立った事から、当該動画の「典拠資料」として当該記事をご紹介して頂けたほか、「制作クレジット(ご協力いただいたみなさま)」にも当blogをご紹介頂くに至った。
10:「三木鶏郎企画研究所」からも驚きともに、被写体の少年が鶏郎本人である事を確認したとのメールを頂いた。
放送後
番組の放送後、まず僕が心配したのは、NHKの影響の大きさでした。
自分が発見した新事実にも関わらず「何だ、こやつの記事はNHKの番組のパクリじゃないか」と思われる事でした。
実は過去にもこうした事がありました。池上彰(彼も元NHK)の番組において、ある戦時中の銃撃事件について言及した事があります(もちろんこの事件については僕も書いています)。
その時に彼がブラウン管の向こうで...いや液晶モニターの向こうで、僕が当該記事について書いたコメントと全く同じ内容の事を自分の意見として喋っていたのでした。
それだけじゃありません。ある方から「お前の文章は池上彰のパクりではないか」と連絡が来たのでした。私は丁寧にお返事を返しました。
改めてテレビの影響力の大きさを実感したと共に、世の中にはそういう一定数の「テレビ教信者」がいるんだなと戦慄したものです。
そこでただちにNHKに抗議のメールを送るともに、当該記事の冒頭に下記の文章を追記しました。
2023/9/3追記。2023/9/2にNHKで放映された「映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 後編」では本記事から無断盗用する形で「映像に三木鶏郎が写っている」という事を紹介しておりました。震災をカラー化し、映像を時系列で可視化した点で番組に対して一定の評価は致しますが、二つの全く異なる著作物の共通項を「発見」し、それを私が本記事として投稿したのは2021年12月の事です。当時Twitterにもそれを投稿しております。それをあたかも公共放送がおのれの発見であるかのように放映するのは、多いに問題ある事ではないでしょうか。当方には一定の知的所有権があります。本件に関してはNHKに抗議したうえで経緯の説明を求めています。
上大岡的音楽生活
即座にTwitterでもこのように発信しました。
NHKは知っていた
9/7になって、国立映画アーカイブの方(お名前は伏せます)からメールが来ました。
この方はどうやら僕のブログの「追記」もしくはTwitteをご覧になって驚いて連絡してきたようです。
その内容は「NHKの取材に協力する過程で、私がNHKに対しあなたのブログ記事を紹介しました。当サイトでの取り扱いについても説明した」
「しかし、クレジットに対する適切なガイドができていなかったと反省している」というものでした。
むろんこの方には責任はありません。むしろ3年前に丁寧に取り扱い頂いた事に感謝していたので、改めてその事をお伝えし、今の自分の心境についてもお返事させて頂きました。
(実はもう一件、ある映画制作会社からも、お詫びのメールが来ています。まだ返事を書けておりません)。
実はNHKに何を抗議したとしても「これはNHKが独自に発見した歴史的事実です」と逃げられると思っていたのです。
しかしながらこの方のメールは違いました。
NHKが断りなしに僕のブログ記事を使用した...口悪く言えば「盗用した」事の重要な証言でした。
歴史的事実は誰のもの?発見は誰のもの?
ノンフィクション作家、上前淳一郎さんの著書に「複合大噴火 1783年夏」というのがあります。僕が大学生の頃にハマった本です。
このタイトルを知らなくても「天明3年の浅間山の噴火が、フランス革命を引き落とした」という説はご存じの方が多いでしょう。
現在あたりまえのように使われているこの説は、実はこの本が「引用元」なのです。
僕は20年にわたってこのブログを書いてきました。
そんな中で「歴史の切れ端」というカテゴリーでは、世の中からあまり顧みられる事のない歴史ネタを沢山書いてきました。
ブログに書くぐらいですから、これを出し惜しみするつもりはないし、こうした事実が世に出ればいいなという気持ちがあります。
こうした記事の中からは、こちらも予期せぬ形で大学教授の研究や出版に役立たせて頂いた事もありました。
そして僕自身も「日本ポピュラー音楽学会」の会員なので、いずれブログではなく学術論文の形で何か書きたいと考えています。
(三木鶏郎の記事も学術論文で書いておけば、また展開が違ったんじゃないかと)
そもそも「歴史的事実」というのは厳然とそこにあったものですからね。三木鶏郎が映像に写りこんでいるのは紛れもない「歴史的事実」なんです。
その事実自体には著作権などありません。「家康が今川に人質に取られていた」という事実に著作権があったならば、NHKはドラマなんて作れません。
そう、確かに「歴史的事実」ではあります。
しかし、学術論文にはそれを書く人の研究の成果があるように、遺跡を発見した人たちに並々ならぬ調査の苦労があるように、「松平記」を丹念に解読研究した方々の苦労があうように、その事実を発見したり紐解く人にはそれぞ固有の苦労があります。
あれほど自分たちの制作物にやかましい天下のNHKが、このブログ記事の存在を知りながら、事前に断りもなく...つまり私の調査の苦労や、記事を書き起こす苦労を無視して番組を制作している事には驚き呆れるしかありません。またこういう記事で「NHK番組のパクリじゃないか!」と言って来る方から自分を防衛する必要もあります。
受信料で番組を作っていようと何だろうと、彼らはビジネスとして番組を作っています。我々は受信料の対価として番組を見ているのです。そうした営利団体が個人のブログだからと言って、その記事作成の苦労を無視していいのか?
この数日間「もうブログの更新をやめようかな」レベルで僕は凹んだのです。
もしNHKが「ウチは法人か団体の記事だったら引用を明記するんだけどね~」なんて抜かしたら、これだけは言っておきます。
現時点では、このブログが置かれているサーバーは法人名義で借りているんですよね。僕の経営している会社です。
しかし書いているのは私という個人なのです。血も肉も通った個人なのです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません