ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞
高校生の頃、妙に背伸びしてオトナが聞くような音楽を自分も聴いてみようと思ったことはありませんか?
僕が最初に聞いたボブ・ディランのアルバムは「欲望(Desire)」でした。
1975年のアルバムですね。高校一年生の時、市川市立図書館で借りたのです。1981年の話。
(結局買ってしまった「欲望」のアナログ盤。その後CDを買い....)
凄い人だということは前知識で知ってました。そういう評判で聞くというよりは、「オトナが聞くような音楽を自分も聞いてみよう」ぐらいの構えで聞いたんです。正座して拝聴する感じでした。それと背伸びかな。
そうしたら意外とポップで親しみやすいメロディーだし、サウンドはカッコいい。そして歌詞が強烈でした。トップチューンの「ハリケーン(Hurricane)」は、無実の罪で投獄されたボクサーのことを歌ってっています。8分33秒にわたる長い曲なんですが、歌詞とにらめっこしながら何度も何度も聞き込みました。それこそ脳内にハリケーンが吹き荒れたわけです。
(Bob Dylan – Hurricane)
この頃になると….いやそれより10年も前から、ディランは歌で何かに対して抗議(プロテスタント)するということをしなくなっていたのですが、この曲は久しぶりのプロテスタント・ソングと言えるものでした。
(「欲望」の歌詞カード。これを見て思い出した。当時、歌詞カードをコピーしたら読みにくいぐらい真っ黒になってしまったことを)
「プロテスタント」なんて1981年には死語に近かったのですが、「何かに対して歌で抗議する」ことのカッコ良さ、それがまた15歳の自分にとってはスリリングだったんですね。
「欲望」というアルバムはディランの世界への入り方としては決して正攻法ではないと思います(普通は「Freewheelin’」とか「Highway 61 Revisited」あたりかな)。だけど、それがかえって良かったのかもしれません。僕はうまい具合に古すぎもせず、新しすぎもせず、歌詞もわかりやすいという15歳の小僧にとって大変とっつきやすいアルバムに出会ったわけですから。
ディランの詩は攻撃的だったり、純粋な愛の言葉だったり、寓話的だったり、シニカルだったり、悲劇だったり喜劇だったり不気味だったり、全く意味をなさない言葉の遊びだったり、「コーヒーもう一杯」だったり….レコードを買う度に音楽を聴きながら寝転がって対訳を読んで「うーん、さっぱり意味わからないなぁ」と頭を悩ませいた自分を思い出します。
でも、圧倒的な言葉のハリケーンと美しい音の洪水が大勢の人々の心を、そして音楽を含めた社会を動かしたことは紛れもない事実です。音楽賞ではなく文学賞というのは、ちと寂しい気もしますが、そもそも「ノーベル音楽賞」がないんだから仕方ないですね。
ディランもずいぶん丸くなったなぁ~と思いつつ、そして「欲望」を聞きつつ、これを書いてみました。
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