狂ったダイアモンド シドバレット死去 –

おみおくり

あるミュージシャンが非合法なドラッグを所持していて捕まった。
早速取り調べが行われた。

捜査官「なぜキミはこのようなものを持っていたのか?」
ミュージシャン「これを使うと、イメージが広がって、作曲がガンガン進むんですよ」
捜査官「キミは今までにその方法で何曲ぐらい作ったのかね?」
ミュージシャン「いやぁ、それがですね。作曲している時は幻覚作用のお陰か、素晴らしい曲に聞こえるんですが...後で聞いてみると駄作ばかりでした。」
捜査官「そんな駄作ばかりを作りながら、なぜクスリを常用し続けていたんだ?」
ミュージシャン「シド・バレットに憧れていたんです。彼みたいな素晴らしい"クスリ曲”がいつか書けると思って...」
捜査官「その"シドなんとか"というヤツはキミのミュージシャン仲間かね?」
ミュージシャン「いえいえ、違いますよぉ。彼は伝説のミュージシャンです。」
捜査官「なんでもいい、ただちに"シドなんとか"にドラッグ所持の容疑で令状を請求する。いいな」
ミュージシャン「勝手にして下さい」

「伝説のミュージシャン」...
ロックシーンにおいて、彼ほどこの名称がお似合いだった人物も珍しい。
シド・バレット(1966)

7月11日のニュースによると元Pink Floyd(ピンク・フロイド)のメンバーSyd Barrett(シド・バレット)が亡くなったらしい。享年60歳...
報道によれば、数日前に糖尿病に起因する症状で亡くなったとのこと。正確な死因は不明。
「狂ったダイヤモンド」の35年近い隠遁生活の結末はあまりにもあっけなかった。

1946年生まれのシド・バレットがRoger Waters(ロジャー・ウォーターズ)らとピンク・フロイドを結成したのは1965年秋のことだった。
当初からシドはグループの精神面、音楽面で主導権を握っていたようである。すぐに彼らはドラッグの幻覚状態から生まれてくるイメージを音楽で表現する方向に走り出す。さらに「UFOクラブ」などのライブハウスでは演奏に加えて幻覚症状を具現化した極彩色のライティングらスライドショーを使い出した。映像と音楽の融合は、それ自体が聴衆にとって「トリップ体験」だった。

このような音楽をサイケデリックロックという。60年代後半に全世界で流行した。元々はアメリカの西海岸から生まれてきたムーヴメントだったけれど、たちまちイギリスにも波及。ロンドンのミュージック・シーンではピンク・フロイドがその一端を担うことになった。

そして1967年3月11日、EMIから「Arnold Lane(アーノルド・レーン)」でデビュー。たちまちフロイドの人気はワールドワイドに急上昇していった。そして同年8月5日に最初のアルバム「The Piper at The Gates of Dawn(邦題"夜明けの口笛吹き")」をリリースしている。
夜明けの口笛吹き

このアルバムはロンドンのEMIのアビーロード・スタジオでレコーディングされているが、ちょうど同じ時期に隣のスタジオでビートルズが名盤の誉れ高い「Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band」をレコーディングしていたというのは有名な話。うーむ60年代なんだなぁ。

さて、このアルバムだが、曲の大半をシドが書いている。ポストビートルズ世代を予感する秀作ぞろいのアルバムだし、映画監督ティム・バートンの世界につながるような「可愛い不気味」という独特の雰囲気ができあがっている作品だ。

だが、いっぽう狂気で崩れ落ちそうな危なげな何かがそこにはあった。もちろんドラッグの幻覚を音楽化しているわけなのだから、そうだと言われればそうなのだが、このアルバムにはそれだけでは説明できない危険な兆候を感じ取ることができる。
HMVのサイトですが、試聴できます)

すでにこの頃、ドラッグの常用と過度のスケジュールによりシドの精神状態は危うい方向へと進行していたのだった。あるいは自分が作り上げたイメージに逆に強迫観念のようにとらわれてしまったのかもしれない。ライブの途中でマイクを前にして呆然としたり、レコーディングの最中に失踪してしまうこともあったという。

翌68年、精神に変調をきたしたシドはグループを解雇される。その後残ったメンバーたちと、直前に加わったDavid Gilmour(デイヴ・ギルモア)らによってピンク・フロイドは見事に存続し、70年代を代表するグループへとなってゆく。

いっぽうシドはといえば、1969年「The Madcap Laughs」、1970年「Barrett」(デイヴ・ギルモアがプロデュース)というアルバムをリリースしている。ともにピンク・フロイド時代の重厚なバンドサウンドとうってかわってアコースティックギターを前面に出したシンプルな編成だが、狂気に取り付かれたいちミュージシャンのどんよりとした不気味さ加減が恐ろしい。
それでも充分聞くに耐える音楽であるところ(特に前作)が、彼の底力の大きさを物語っている。

正常な頃のルックスや悲劇的なイメージが先行して過大評価されている部分もなきにしもあらずだが、それでもこれらのアルバムの持つクオリティは不思議な輝きを持っている(いまこれを聞きながら書いています)。
シド・バレット(1970)

その後、シドの精神は破綻し、伝説の存在となっていった。
そして途切れ途切れに彼の消息が伝えられていった。

有名なエピソードとして1975年、ピンク・フロイドがアルバム「Wish You Were Here(炎)」をレコーディング中に、突然シドがスタジオに現れたという話がある。このとき、旧友の変貌(どっぷり太って頭が禿げてしまっていた)とスタジオでの奇行の数々にロジャー・ウォーターズは涙を流したという話がある。このアルバムに収録された「Shine On You Crazy Diamond(狂ったダイアモンド)」という大作が、シドを示したものだと考える人は多い。

1982年頃だったと思うが、シドの最新インタビューが「ロッキン・オン」に掲載されたことがある。精神病院か療養所か何かでインタビューされたその内容が異様なものだったのを今でも覚えている。
インタビューアーが庭の隅にある木の話題で「あそこに立派な木がありますね?」と言ったところ、
「ああ、とてもいい木だった。だけどもう切り倒されてしまった」
という具合。当時これを読んだ僕はただ「うお」と言うしかなかった。

そして近年、ネットサーフィンしていて、シドの近況を伝える写真を見た。
あまりの変貌に唖然とした。
直リンクはしない。上の二枚の画像に魅かれた人は絶対見ないことをオススメする。
http://www.pinkfloydz.com/PF_Syd.htm

シドは、あのサイケデリックな60年代という時代と、それに続く余韻の中でのみ存続しえたミュージシャンだったのだろう。その一瞬に才能を爆発させ、そして破綻してしまった。そういう意味ではSid Vicious(シド・ビシャス)やKurt Cobain(カート・コバーン)と同類といえるだろう。

シド、いい音楽で僕を楽しませてくれてありがとう。
「星空のドライヴ(Interstellar Overdrive)」でも楽しんでね。

Syd Barrett関係リンク
The Syd Barrett Archives
PINKFLOYDZ.COM