加藤和彦が与えてくれたもの
昭和43(1968)年に録音した僕の歌声(クリックすると聞けます)。
帰ってきたヨッパライ by spiduction66 (3さい)
当時、我が家にあったオープンリールの家庭用テープレコーダーで親父が録音したもの。数年後に普及するカセットテープに比べてはるかに音質がよい。
自分が何かしらの形で音楽表現をしたものでは一番古い記録だし、リアルタイムで記憶している一番古いヒット曲でもある。当時、叔母が入院したときにこれを病院で歌って大笑いされたのを今でもおぼえている。
そう、3歳の子供が愛唱するぐらい「帰ってきたヨッパライ」は名曲だった。
加藤さん、そんな思い出の曲を作ってくれてありがとう。
僕はあなたの人生の結末のつけかたが「悲しくてやりきれない」です。
「ほなら出てゆけ~」と神様に言われて、あなたが天国から戻ってくるように思いたいけどそれも難しいです。もちろん「タイムマシンにおねがい」するのも難しいことでしょう。
でも、僕は「あの素晴しい愛をもう一度」と思ってなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
ディスカッション
コメント一覧
何故に逝き急ぐか!?
そんな思いでニュースを見ていました。
ご冥福をお祈りします。
合掌
ほんとに、辛いニュースでした。
きっと、ここに来れば、惜しみ悲しむ、同じ気持ちに出会えるだろうと。
北山修氏が心の病に対処する立場にいるだけに、余計に何とかできなかったものかと、神様に苦情を言いたくなる思いです。
若くして世に出て、いろんな音楽シーンに関わってきて、「見るべきほどのことは見つ」という心持ちだったのだろうか。
ご冥福をお祈りします。
「なぜ・・・?」って思いました・・・・・
すごい、ショックです・・・・
リアルタイムではありませんが、中学生の頃「あの素晴らしい愛をもう一度」のギターを一生懸命練習したのを覚えています。
「イムジン河」・・・・・この曲をはじめて聴いた時、すごい衝撃がありました・・・・・
清志郎先生といい、素晴らしいアーティストが逝ってしまうのが早すぎる。
>こさくくん
音楽が生き急いでいたことと関係あるのでしょうか。
>せろりさん
彼の場合、しょっぱなに「遊びで」作った曲が大ヒットして、いきなり成功を手に入れてしまいました。見るべきものの一番大きいものが最初にあるって、辛いかもしれませんね。でもその後のクリエィティブな活動を見ていれば、彼がどれだけ音楽的に評価されていたのか、つまり「見られていたのか」がわかるのですが..残念でなりません。
>ヌッキー@リュウさん
おっしゃるとおりですね。
J-POPを彩った二人が相次いで逝ってしまうとは.....
「あの素晴しい」は高速スリーフィンガーですね。当時指がつりそうになりましたよ。まさか宇宙服着たポールマッカートニーのイラストが表紙の本では.....