明治150年

あけましておめでとうございます。
鏡餅
本年もこの辺境blogをよろしくお願い致します。

今年2018年は明治150年にあたります。
大正100年が何のイベントらしいイベントが無かったのと対照的に、色々と企画が催されるようです。

考えてみれば僕が小学生の頃には「明治生まれ」なんていう人はザラにいました。
母方の祖父は明治33年生まれでしたし、何度か会った事のある母方の曾祖母は明治23年生まれでした。
近所に「日本海海戦を戦った」といういうおじいさんがいたのも忘れられません。

僕は1982年に、国立演芸場で先代の林家彦六師匠の最後期の高座をみているのですが、彼が三代目三遊亭圓遊に入門したのが明治45年と言われていますから、最後の「明治の落語家」だったと言えるでしょう。
そうそう、6年前に義祖母が亡くなったのですが、彼女が明治45年生まれでした。親族では最後の「明治人」だったのです。

こういう人たちの持つ空気、感覚、雰囲気を目の当たりにし、肌で感じることができたというのは、今となってはこの上もなく貴重な経験となってしまいました。
重厚で枯淡の味わいのある人たち...それは単に高齢だとか、そういうことではないんです。
背負って来たものの重さとか凄みとか覚悟の深さとか達観さとかそういうものをすべて兼ね備えた方々なんですよね。

いやはや....明治も遠くなったものです。

さて、明治新政府のトップの平均年齢が30歳前後だった事は注目に値するでしょう。
要するに当時の日本はとても若々しい中で、国家の根本を覆す革命を成し遂げ、経済的にも急成長を遂げていったわけです。
今の日本に決定的に欠けているのは、このトップの「若さ」ではないかと思います。

実は、その若さによる革命を再び成し遂げようとした時代もありました
それがちょうど明治100年にあたる1968年から続いた学生運動でした。
結局、それは歪んだ形で潰えたのですが、一方で現在に繋がるサブカルチャーが一斉に花開いたのがほぼ同じ時期だったと考えます。
現在のJ-popに繋がるGSやカレッジフォークなど脱歌謡曲化を目指した音楽文化とか、週刊マンガ雑誌からはじまるマンガ文化とか、美術館の中から街へと飛び出した「ポップアート」といった文化はすべて1965年~1969年という時間軸の中で語れると思います。この前後数年が古い文化と新しい文化の分水嶺となっていると考えます。

そして、さらに50年が経ちました。
大きな時間軸の中で、この数年がどういう位置づけになるのか?
今年は、そんな事も色々と考えてみようと思います。