1988年の藤ノ木古墳

ステイホームなんだからタイムトラベルでも。
奈良県斑鳩町に「藤ノ木古墳」というのがあります。
6世紀後半の古墳とされ、現在は直径40m、高さ7.6mの円墳ですが、もともとは直径50m、高さ9mぐらいあったそうです。

ここ、1988年10月8日に大規模な発掘調査が行われました。
古墳内の石棺を開いたところ、二体の人骨とともに鏡、刀、金銅製の冠や馬具などが大量に出てきて、大変話題になりました。
二体の人骨は穴穂部皇子と宅部皇子ではないかとする説もあります。

その20日後、就職活動も終えて時間のあった僕と友人は、かねてから計画していた奈良京都旅行に出ました。
この時は、普段行けない奈良を歩いているようです。10月29日は九体岩船と般若寺。10月30日は談山神社,聖林寺,三輪神社,そして山野辺の道という超ハード。そして翌10月31日、法隆寺へ行ったついでに発掘現場へ寄ってみました。「テレビラジオ新聞で話題の」発掘現場です。実はここ、法隆寺から数百メートルという場所なんです。

実は持っていったカメラが故障していたようで、相当の写真がおじゃんになったのですが、古墳を撮影した数枚の写真だけはまあまあ普通に撮れていました。

1枚目は高台から見下ろした藤ノ木古墳の全景です。

藤ノ木古墳(1988年10月31日撮影)

ご覧の通り、周囲が田畑や建物に削り取られ、窮屈そうにしているのがわかります。

2枚目はGoogleストリートビューからキャプチャした同アングルです。

藤ノ木古墳(2018年11月)

30年の間に、のどかな田舎の風景は激変しています。古墳は整備され、住宅地に囲まれてしまいました。

3枚目は発掘現場前に掲示されていた「発掘速報」。今だったらWEBサイトやFBページで公表するやつですね。

10月8日の発掘状況を伝える速報

古墳のそばにはプレハブ2階建ての発掘本部が建てられ、その前に掲示されていたものです。

4枚目はこれまた当時の古墳の全景です。

お気づきかと思いますが周囲が雑なトタン塀で覆われています。その理由は斑鳩町に予算がなかったからでした。
その予算のなさが仇となり、7年後に事件は起きました。

深夜、大阪から自転車でやってきた中学生3名が古墳に侵入し、石棺を金槌で破壊して破片と壺を持ち去るという事件でした。
「史跡藤ノ木古墳石棺き損事件」と言われるこの事件、当時の新聞記事で考古マニアの仕業だったと読んだ記憶があります。

この事件によって逆に国から予算が出た事で、古墳の保存と整備が進んだのも皮肉な話です。
彼らのやった行為は許されるものではありませんが、そうまでして手に入れたかった古墳の石棺の破片というモチーフは、何かドラマか小説にでもなりそうです。

彼らはどこでどうしているのか。考古学者にでもなっていたら素敵だなと思います。
被葬者の呪いにかかっていませんように。